高知らしい、深夜の風景〔5401〕2018/01/28
2018年1月28日(日)薄曇り
朝寝。よく寝ました。昨夜帰宅したのは、今日になってから。
昨日も書いたように、昨日は坂東眞砂子さんの命日で、高知で坂東さんとよく飲んでたメンバー数人が集まってひたすら飲み続ける「坂東会」が行われていたのであります。よく坂東さんと飲みに行っていた料理屋さんで。そして、坂東さんが居たときのように文化行政などへの辛口の意見を述べあいながら、坂東さんが居たときのように日付が変わるまでひたすら、おいしい日本酒を飲み続ける。
こないだ、県立文学館で「酒と文学展」という企画展をやっていて、坂東眞砂子さんとお酒の話を書きましたが、昨夜の席には、その企画展を担当した学芸員のKさんもいらっしゃって、盛り上がりました。Kさん、福島県から高知へ嫁いできた女性ですが、酒豪だ。
坂東さんの周りには、酒豪の女性が引き寄せられてくるんですね。いや、楽しい酒でした。
昨夜は、その「坂東会」に行く前に、日銀高知支店長さんの送別会に出席してました。新任の支店長さんの歓迎会も兼ねてましたが、新支店長さん、プロの腕前のサックス吹きであることが判明。なんとですね、大学ではダンモに在籍していたこともあるとのこと。こないだ、ブラタモリで、僕がタモリさんのダンモの後輩であることをやりましたが、今度は更に後輩が出現した訳だ。なんという縁。ビックリしました。今もキチンと活動され、プロのバックバンドで吹いたりしているという強者。今度、聴かせてもらわなくっちゃ。
タモリさんとダンモの話をしたのは、この場所。大丸東館の前辺り。昨夜、帰りがけに写真を撮りました。日付は今日になっていたので、「その日に撮影した写真を一枚だけ利用する」というにっこりひまわりのルールからは逸脱してないのでご安心を。
そう。ここを歩きながら、ダンモの話をしたのは、半年前。もう、そんなになりますか。
帯屋町の商店街は、前方Y字路左に伸びている。でもこれは、戦後になってから。元々、こちらからの道は、あのY字路右をまっすぐ行って、土橋を渡って突き当たり。ドンつきのDONのところで左折し、すぐに右折して、現在の帯屋町商店街につながっていた。昭和22年の航空写真がこれで、高解像度表示で大丸のところを拡大すると、その頃の地形を確認できます。Y字路の左側の道は、昭和25年くらいまでは、無かったのでした。
夜中なので、Y字路のところに玉子焼の屋台が。
ベビーカステラのことを玉子焼と呼ぶのは、関西だけなんでしょうかね。高知の縁日では、玉子焼の屋台は定番。特に前田製菓の玉子焼には長い行列ができるので有名ですよね。高知市民なら誰でも知ってる前田製菓の玉子焼。
あの屋台は、前田製菓ではなくて、ごく普通のテキ屋さんの。飲んで帰る途中、確かに食べたくなりますね、玉子焼。買わんかったけど。
そんなこんなで高知の夜は更けていきました。
街には若者たちが集う風景があちらこちらで。この写真に写っている、深夜の街の風景をよく見てみよう。そう。写っている人影は、ほぼ全員、女性だ。高知の女性はよく飲みます。
たぶんこれは、とても高知らしい深夜の風景。
昨夜の坂東会もよく飲んだ。参加していたのは延べ8名。たぶん、そのうちの3名の女性で、半分以上のお酒を飲んでいたと記憶します。坂東さんが居たら、もっと飲んでた。
とても高知らしい、深夜の風景。