三谷からの風景〔5400〕2018/01/27
2018年1月28日(土)良いお天気
昨夜も冷やかった。街から帰るのに、シビコオリました。今日も冷やいですが、日中の寒さは、少し和らいだでしょうか。
今日は午後から色々と用事があるので、午前中、久々に北山RUN。秦泉寺から三谷へ。
三谷。北山の中腹に古くからある集落。金谷川の谷ですが、V字型に開けた土地があり、そこに昔から人々は畑を拓き、生活を営んできました。たぶん、金谷川の水が豊かであったのと、V字型になった土地の形状が畑作や生活に適していたんだと思う。
その三谷へは、高知の城下からは秦泉寺を抜けて北上していく往還がありました。たぶん、毎日毎日たくさんの人が歩いたであろう、金谷川沿いの道。夜になっても人の往来は絶えず、山中ということもあって、タヌキやお化けの伝説にはこと欠かなかった三谷往還。
その山道沿いには、西国三十三観音霊場の石仏が順番に鎮座し、霊場巡りをする方も多かったと言います。僕も、一度、三十三の石仏を全部お参りし、写真を撮ったことがある。
ところが2014年の夏。豪雨がをの谷を襲い、道の一部が崩落、倒木も多くて、通行止めになってしまった。特に、十二番石仏は、崩落した土砂に押し流されて10m以上下の谷間に落ちてしまいました。2015年12月に、その崩落現場をたつくっていて、谷に流された石仏を発見しました。
そして現在。
今も、その山道、つまり三谷往還は、通行止め。崩落現場はそのまま放置され、石仏もそのまま。道は荒れ放題で、昨年の風台風でしょう、倒木が一層増えて、より通りにくくなってました。
かつての往還。メインストリート。三十三観音霊場もある。歩きやすかったその道は、荒れるに任されていました。
修復、せんのでしょうかね。もう、通行止めになってから三年半が経過する三谷往還。このまま荒れ果てていくのは、なんとももったいないし、哀しい。
その三谷往還を、崩落した谷に下りたり崖をよじ登ったり、倒木を乗り越えたりしながら登っていくと、三谷の集落。集落を抜けてどんどん登ると、谷干城さんの別荘跡地があり、更にそこから急坂を登ると三谷観音。三谷寺。もうね。息も絶え絶え。運動不足が身に滲みる。
三谷観音さんのすぐ下から撮影したのが、この写真だ。三谷からは、高知の城下、そして太平洋までが一望できます。すごい風景。谷干城さんが別荘建てたのもムベなるかな。
こうやって眼下に城下町、遠くに太平洋を毎日見ながら暮らす毎日。良いと思います。
今日は、三谷から西へと登っていく車道を駆け上がってみました。標高300mの峠を越えて、西の谷へと車道を駆け下る。すると。おう。鹿嶋さんの牧場に出たではないか。円行寺の。
せっかくなので、鹿嶋さんの奥さんがやっているディアランドファームでロールケーキ(とてもおいしい)を買い、ロールケーキが崩れないように手に持って、観月坂団地、加賀野井団地を駆け抜けて帰ってきました。ああ。充実の北山RUN。ストレス解消にはぼっちりです。
そうそう。今日は行かんかったけど、三谷観音さんの東の山道を駆け上がっていくと、原生林。イスノキの巨木。スダジイの巨木。山の神原生林と呼ばれてます。
そして、三谷と山の神原生林の間、巨岩の岩陰に、山姥さまが、鎮座。やまんばさま。古くから信仰を集めた山姥さまは、今はお参りする人もなく、静かにたたずんでいるのだろうと思う。
今晩は、坂東会。直木賞作家、坂東眞砂子さんの命日が、今日。4年前の今日、溢れる才能を惜しまれながら他界された坂東さんは、このにっこりでも幾度もご紹介してきました。坂東さんが高知で飲むときは、僕は「手下」を自認してましたもの。坂東さんの飲み仲間が、毎年1月27日に集まって大酒を飲むのが「坂東会」。
三谷を走りながら、そう言えば、坂東さんの直木賞受賞作は「山妣」だった、と、思い出した。