恵比寿さんと商売繁盛〔5396〕2018/01/23
2018年1月23日(火)曇ってます
寒くなってきました。今日も気温は上がらず、明日朝の予想最低気温はマイナス1℃で、明後日の朝に至ってはマイナス4℃だ。おおの。冷やい。
ウェザーニュースの高知市の予報にはこんなこと書いてある。「今日は日差しが届きます。寒さは夜にかけてどんどんと増す一方。冷たい風も吹きつけて耐えがたい寒さとなります。」耐えがたい寒さって・・・
昨日は一日冷たい雨で、山は雪でしたが、高知自動車道が雪で通行止めになってないのが、嬉しい。
でも、東京とか、降ってますね。東京は4年振りの大雪、と言うてました。おう。4年前。覚えてます覚えてます。鮮明に。僕は、あの記録的大雪の日、東京におりましたもん。
西麻布で、高知の食材を使った集まりに参加したときだ。会場に到着する前に、雪で動かんなった車を押して救出したりした、あの時。
夜10時過ぎに会場から出ると一面の雪景色。いや、景色は良いけど、電車が動いてないではないか!京浜急行が!
で、品川まで雪道を歩き、やっとタクシーを捕まえて京急蒲田のホテルへ帰ったあの日。
そうか。あの日以来の、大雪か。
東京は、坂の多い町ですきんね。雪が積もると道路事情がとんでもないことになりますので、皆さんご注意ください。弊社の商品は、関東のお客様にちゃんと届いていることを願います。
さて。
写真は今朝、4時半過ぎの朝倉町。朝倉町というのは、浦戸町の南。浦戸町は種崎町の南。種崎町の中央部が中種崎町で、中種。現在のはりまや橋商店街。
現在の高知城のある山、大高坂山に、長宗我部元親さんが本拠を移したのが1588年。3年後には、浦戸城へと移りますが、その短い間に、城下町建設をはじめてました。岡豊城の城下町を移設してきた新市町と、山田の城下町を移した山田町が、その時につくられた、町。で、山内一豊さんが入国してきて、新たに7つの町を新設する。これも、藩内各所の町の人たちを移住させ、人工的につくった新しい町でございました。
朝倉町もその七町のひとつ。町名から想像できるように、本山氏が本拠とした朝倉城下の市町の人たちが移ってきたから朝倉町だ。
北側の納屋堀を開削するに際し、この場所の商人には、他国商品や干魚専売の特権が与えられたと言います。これも、民力を利用したインフラ整備ですな。
で、種崎町、浦戸町、朝倉町には商人がたくさん住むようになり、高知城下の商業ゾーンとして発展することになりました。
写真。
その朝倉町に鎮座まします恵比寿神社。拝殿前は一段高くなっていて、そこから朝倉町を見下ろしました。城下七恵比寿の一つに数えられる恵比寿堂が朝倉町にあるのは、恵比寿さんが商売の神様であることを考えれば、当然のこと。
城下町建設にとっても、商業が盛んになることは重要なこと。藩の政策と、民間の活力と、恵比寿さん。商売繁盛商売繁盛。