築地本願寺と伊東忠太〔5383〕2018/01/10
2018年1月10日(水)晴れ
今朝は東京。昨日、業界の会合がありまして、やって来ました。今年初東京だ。夜は、銀座の高知県アンテナショップ2F、「おきゃく」で、土佐の伝統野菜を食す会があり、ぼっちり東京だったので、参加してきました。高知の、非常にとんがった生産者Kさんが主導する、伝統野菜を栽培していこうとするグループは、近年、偶然に偶然が重なってできたもの。宮尾登美子さんも関わる、深く遠大で感動的な話が、昨夜の食べる会につながっているのだ。なんのことか、わかりませんよね。
まあ、すごい。元農水大臣とか日銀支店長とかも来場した、これからの発展が楽しみな集まりでございました。やはり、想いですね、大事なのは。
さて。
今朝は久々の築地。やっとこさ豊洲移転のスケジュールが決まり、現状の築地としては最後のお正月を迎えてます。水曜日だけど、営業。水曜日は休みであることが多いせいでしょう。観光客、少なかった~。あの、数時間待ちは当たり前の「すし大」の行列も、いつもより格段に短かったです。狙い目は、営業している水曜日ですよ、皆さん。
その築地市場の北にあるのが、この、非常に印象的な建物。築地本願寺。有名人のお葬式をやったりすることも多いので、見たことある人、いますよね。
なんか、新興宗教の総本山みたいにも見えるけど、歴とした、浄土真宗のお寺さんだ。親鸞上人の像も、ありました。鎌倉仏教の寺院が、なぜ、こんな姿なのか。
実はこないだ知りました。
最近よく読む万城目学。彼が、作家の門井慶喜と、日本の素敵な近代建築を語り合う「ぼくらの近代建築デラックス」という文庫本があります。つい、買ってしまった。明治から昭和にかけての、非常に特徴的にして美しい建築について、建物を訪問しながら語り合ってます。結構、ツボ。
で、その本に、この築地本願寺も出てくるんですね。この建物を設計した人物は伊東忠太。明暦の大火後に建てられ、幾度も再建されたりしてきた築地本願寺が、関東大震災で焼失。それを受けて、鉄筋コンクリートの頑丈な本堂を作ろう、ということになって白羽の矢がたったのが、伊東忠太。
東京駅を設計した、まあ、近代日本建築では一番有名な辰野金吾の、弟子。
東京帝大建築学科の卒業論文のタイトルが「建築哲学」なんだそう。とても、非常に、ものすごく思索的な建築家だったんだ。
で、この浄土真宗のお寺本堂設計の依頼を受けると、徹底的に仏教を研究。その思想の源流をたどって、中国、インド、ガンダーラまで行ってしまった。で、こんな設計になったんだとか。なるほど。なんかわからんけど、すごい。
あと、伊東忠太は、大の妖怪好きで、色んな、動物か妖怪かわからんようなオブジェを設置するのでも有名なんだって。一橋大学にも、何かわからん動物みたいなオブジェがどっさりの建物を設計し、現存してると、この本でも紹介してます。
写真の、石段の下の動物。これも、翼がついていて摩訶不思議な動物ですが、左右が対になっていて、向かって右が口を開け、こちら側が閉じているので、阿吽。狛犬だ。これほど狛犬に見えない狛犬も、ちょっとないと、思う。
高知でも、大正期から昭和初期にかけての建築物は、実に面白いものが見えます。建物以外でも、橋などのインフラの意匠は、実におしゃれ。デザインというものを重視しよう、という気構えが溢れていた稀有な時代かも知れません。
後世に残るもの。それは、想いが形になったもの。目先の流行に追随したものは、残らない。
この築地本願寺には、設計者の、仏教に対する哲学的思考が溢れていました。
まあ、発注したお坊さんも、懐、深いよね。