八幡様と、一番大切なこと〔5378〕2018/01/05
2018年1月5日(金)小雨
今朝は小雨。山は雪になるんでしょうか。冷たい雨の朝。
昨日、潮江天満宮で、二礼二拍手一礼の作法について書きました。二礼二拍手一礼は、意外にも戦後になってから確立されてきた作法で、昔は統一されてもなかったし、そもそも神仏習合が多かったので、それぞれのやり方で拝礼が行われていた、という話。要は、気持ちだ、と。
ただ、これは守っといた方が良い、とされている作法が、参道の歩き方。中央は、神様の通り道なので歩かない。右側か左側を歩くのが良い、というのは、まあ、理解できる作法。要するに、真ん中通らんかったら、右でも左でもかまん、という訳だ。
まあ、潮江天満宮の初詣みたいに、すごい人数が一斉にやって来ると、真ん中を開ける、などといことは不可能になるけど。まあ、これも気持ちですね。神様が真ん中を通る、という話も後から作られた話だ、という人も居りますしね。
ここは今朝、夜明け前の上岡八幡宮。元旦には、たくさんの氏子さんで賑わっていた八幡様。もちろん八幡様の御祭神は応神天皇で、神仏習合の時代には八幡大菩薩ということで尊崇されてました。武門の神様ですよね。源義家は、八幡太郎義家でした。那須与一が屋島で扇を射る際に「南無八幡大菩薩」と祈ったのは、八幡神が武門の神、弓矢の神であったから。
でもね。
本地垂迹説によると、八幡神は、阿弥陀如来ということになってます。本地垂跡は、言うまでもないけど、日本の八百万の神様は仏教の仏様が化身として日本に現れたもの(権現)である、という考え方。八幡神は、阿弥陀如来が仮の姿として現れた神、ということになる。
八幡大菩薩が阿弥陀如来?
菩薩が如来、という不思議な矛盾が出現してますけど、まあ、それはそれ。要は、気持ちだ。
そもそも、以前にも書いたように、この上岡山に最初に降り立ったのは石船。石船と言えば天忍穂耳尊と饒速日尊で、物部の置松に痕跡を残して香宗川上流の石船神社へと遷座していった話は、こないだ書きました。
天忍穂耳尊はですね、本地垂迹説では弥勒菩薩だ。
弥勒菩薩が八幡大菩薩、または阿弥陀如来に変わった、ということになる。ああ。ややこしい。
ともあれ、ここは、今は上岡八幡宮で、我らの氏神様。
大切なのは、気持ち。
既成概念、習慣、因習に捉われない、気持ち。
何が本質かをよく考え、一番大切なことを一番大切にする。形式よりも、本質、気持ち。
本当のこと、一番大切なことを見極め、殻を破り、変化していきます。