なんごく号の時刻表〔5379〕2018/01/06
2018年1月6日(土)晴れ
もう、新年も6日か。早いもんだ。
今日は、愛媛県の松山市で、愛媛県流通業界の賀詞交換会「愛媛流通懇話会」がありまして、珍しくバスに乗って松山へ向かってます。とさでん交通のホエールエクスプレスだ。ホエールエクスプレスは、とさでん交通が3往復、伊予鉄道が2往復の合計5往復。
あと、高知松山間にはJRバスのなんごくエクスプレスという高速バスが5往復走っていて、合計10往復。
松山と高知の間は、バスが便利。
JRの汽車だと、土讃線で多度津まで出て、予讃線に乗り換えてえっちらおっちら松山なので、時間もかかるし料金も、かかる。高速バスも、高知自動車道から川之江ジャンクションで松山自動車道なので、かなり遠回りではあるけど、汽車に比べるとはるかに便利で、安い。はりまや橋から大街道まで、2時間半で3600円。
高速道路ができるまでは、どうだったのか。
僕は、交通案内社発行のポケット全国時刻表1981年12月号というのを持ってます。1981年と言うと、東京で大学生をやっていた頃なので、汽車で帰省したりする時に購入したものと思われます。そのポケット時刻表で、国鉄バスの松山ー高知線、なんごく号のところを見てみよう。この写真。
右下が、なんごく号の時刻表だ。
これによると、一日13往復。今より多かったんだ。今より、車で往来する人が少なかったのかも知れません。
今朝のホエールエクスプレスは、高知駅を7時30分に発車して、10時頃には松山駅へ到着。1981年当時のなんごく号は、同じく朝7時30分に高知駅を発車して、松山駅到着が11時22分だ。一時間半、余計にかかってます。そんなにかかってましたっけ。
確かに、途中のバス停は多かったし、引地橋で休憩もしてました。それにしても、結構かかっていましたね。現在の国道33号線は、あの頃よりも随分と広く走りやすくなってますし、伊野のバイパスやら三坂道路やらができているので、あちこち寄っても4時間近くかかることは無いですな。
こうやって昔の時刻表を眺めていると、当時の風景が蘇る。
以前にも書いたけど、三坂峠を越えて松山平野へ下っていく頃合いで、石手寺と衛門三郎のエピソードを車内放送していたことを、昨日のことのように思い出します。
なんごく号の料金を見てみると、高知駅から松山駅まで2200円。それに、指定料金400円が必要と書いてあるので、2600円か。
今日のホエールエクスプレスが3600円なので、35年前の2600円は、結構高いような気もしますな。と、思いながら左ページのドリーム号を見てみると。
そう。ドリーム号は、東京と大阪の間の高速バス。当時、東京大阪間のバスと言えばドリーム号だった。22:20に東京駅を発車して、翌朝7:40に大阪駅着。その料金はと言うと、5,950円ではないか。それに、指定料金が1500円。結構高かったぞ。
今は、たくさんのバス会社がたくさんの便を運航していて、明日の最安値は4000円。もっと安い場合もあったりするので、35年前に比べたら、随分と安く便利になったのが、高速バスの世界と言えましょう。
ちなみにこのポケット時刻表の表紙は、特急「あずさ」。
「あずさ」と言えば「あずさ2号」で、8時ちょうどに新宿駅を発車するのであるが、狩人の「あずさ2号」が大ヒットした1年半後、1978年10月のダイヤ改正で、それまで上りも下りも始発から1号、2号と振っていたのをやめて、上りが偶数、下りが奇数になったので、新宿を8時に発車するあずさ2号はなくなってしまった。
現在、新宿駅を8時ちょうどに発車するのは「スーパーあずさ5号」なんだって。まあ、どうでも良いけど。
ともあれ、ホエールエクスプレスは松山へ向かって快走してます。車内でこんな文章を書くのも、平気。なんごく号だったら、車酔いしていたかも知れません。
大学生の時代って、ついこないだみたいな気がしてますけど、随分昔になってしまった。
まわる まわるよ 時代はまわる~