既成概念に捉われない。大切なのは、本当の気持ち。〔5377〕2018/01/04
2018年1月4日(木)晴れ
1月4日。今日から仕事始めという方、多いと思います。なので、まずは氏神様に参拝してから仕事を始める、という企業も多いと思います。
ここ、潮江天満宮にも、今日は朝からたくさんの企業が訪れるんだと思う。4日ですきんね。
写真は今朝、4時前の潮江天満宮。さすがに静かな、天満宮。でも、いつもとは違い、参道にも拝殿にも煌々と明かりが灯り、警備員のおじさんが立ってました。三が日が終わったので、もう、参道からは露店の姿は消えてますが。
右手が手水。正面の鳥居の向こうに楼門。嘉永年間に建てられた、つまりこの天満宮では一番古い建物である楼門の鳳凰が見事。静かに美しい、正月夜明け前の潮江天満宮。
鳥居前で拝礼しているのは、僕。
神社では、よく、拝礼します。そして、色んなしきたり、作法がある。手水の作法も、このにっこりでは幾度もご紹介してきました。
元日に、この潮江天満宮にも初詣に来ました。その際、僕らの目の前の若い女性二人が、賽銭箱の前で、どうやって拝んで良いのかわからずに戸惑っている。結局、なんとなくおじぎをし、なんとなく手をパンパンさせていた。周囲を見ながらね。
ほとんどの参拝客は、もちろん二礼二拍手一礼。そう。出雲大社以外では、それが作法というのが日本人の現在の常識。もちろん、天理教とか、色んな宗教によって拝礼の作法は違ってますが、一般の神道では二礼二拍手一礼だ。
ところが。
この作法というのが意外に新しい。しかも、国家神道の元締めである神社本庁が正式に定めているものですら、ないんだそう。
昭和23年に提唱され、広まったのが、二礼二拍手一礼と言われたら、そんなに新しいのか、とビックリしますよね。でも、そんなもんなんだ。もちろんそれ以前にも、それに近い形で推奨されたりはしていたと言う。例えば伊藤博文が推奨していたのが、一揖再拝二拍手一揖。近い。揖は浅い礼ですきんね。
そもそも。明治以前の日本では神仏習合が当たり前で、そこには色んな神様仏様がいらっしゃいまして、統一された拝礼の作法がなかったのは、当然。お寺さんで柏手を打たないというのが現在の常識みたいになってますが、これも間違い。立場によって、また、場所によって、打っても良いし、打たなくても叱られない。
自由。
伏見稲荷は神社で、豊川稲荷はお寺さんということからも、この辺の作法の自由さは理解できると思う。
よく、お寺さんで柏手を打つ人に、常識がない、と注意する場面を見ますけど、別に注意するほどのことではないんですね。最近になってできあがってきた、なんちゃって常識なので。
ここで、元日の若い女性の作法に戻る。
そう。彼女たちは、間違いではない。大切なのは、気持ち。
日本人は、一応、作法みたいなのが有った方が安心するし、ルーティンの動作にハマってしまう傾向があるので、今は多くの神社などで、そうやって参拝してくださいね、と「推奨」してます。その方が、参拝する方もドギマギしないで安心だから。
でも、本当は、大切なのは「気持ち」。昔は、もっと信仰心があって、その信仰の形態は様々、自由でありました。
既成概念に捉われない。大切なのは、本当の気持ち。
これが、このお正月に考えた、とても大事なこと。