土佐物部氏〔5323〕2017/11/11
2017年11月11日(土)晴れ!
秋晴れ。
高知市の中心部では、土佐の豊穣祭など、秋らしいイベントがたくさん。この週末、街へ浮かれ出てみるのも一興かと存じますね。存じます。
ところで、弊社は南国市物部に所在します。この「物部」は「ものべ」と読むけど、かつては「もののべ」。物部川の河口一帯に物部郷呼ばれた地区があり、そこは物部氏の郷でありました。
幾度か書いてきたように、かつての物部川の流路は、もっと西にありました。なので、今のように物部川を挟む形ではなく、物部川東岸にまとまってあった、物部郷。
話は少し変わりますが、小生も会員となっている「土佐史談会」。100年を超える歴史と伝統を誇る土佐史談会の事務局は、高知県立図書館の3階にあります。で、来年3月に、新しい図書館が完成オープンするのに合わせ、事務局もそちらに移転します。その引っ越しに合わせ、いくつかの書籍を格安で販売しているのでありますね。詳しくは、こちら。
その中に、とても興味深い本があります。僕にとってですけど。
「物部氏の伝承と土佐物部氏」と「石船神社(天忍穂別神社)」。他にもいくつか買いましたが(とにかく安い!)、この本は読みたかった。
「物部氏・・・」の方は、前半3分の2が、名族物部氏に関する過去の研究を俯瞰的にご紹介したもの。
色んな説があるけど、間違いなく、神武東征の前にヤマトを支配していたのが物部の一族でありましょう。先に、天孫族に先駆けて、九州から東へ進んで近畿を支配した、という説もある。
そんなこんなもあって、他の名族に比しても、地方への根の張り方が尋常ではないのが物部氏だ。
神話で饒速日を祖とする物部氏は、古書によっても、九州から伊勢に至る全国に散らばっている。こんな一族は、他にはない。
土佐に物部氏がやってきたのは、物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされるよりもずっと昔のことと思われます。
そう。古墳時代には、もう、土佐物部氏はいた。それは僕も間違いないと、思う。
土佐物部氏が、歴史文書に最初に見られるのが続日本紀。714年、物部毛虫咩という人物の多産を寿ぐ記事。土佐国ノ人、とあるので、その時点で、土着してもう長い歴史を持っていた土佐物部氏だ。
この本によると、そんな昔に土佐へやってきて物部川河口東岸に土着した土佐物部氏は、その祖神を山に祀った。そう。いつもの野市、上岡山。神丘山だった、上岡山。
その祖先神を、以前にもご紹介した旧香我美町山川に遷座させたのは、大同五年(810年)と言われてます。1200年も前。
1200年前まで、上岡山に祀られておった神様は、天忍穂耳尊と饒速日尊だったのでありましょう。たぶん。石船神社は、今も、その二柱をお祀りしている物部氏の神社だ。
知らなかったことが一つ。
「物部の置松」。
上岡山から300m下流の東岸に、推定樹齢が1000年を超える、根元廻り10mの松の巨木があったそうです。県の天然記念物にも指定されていた、松の巨木。その松は「物部の置松」と呼ばれていたそう。物部氏が、祖神を上岡山から山川の地に遷座させるとき、おき残した松なので「置松」。
昭和48年に枯れてしまったのは、残念。
そんな松があったこと、知りませんでした。
そこで地理院地図。1961年頃の航空写真が、これ。この、上岡山の南、川沿いの黒い部分が、どうやらそうだ。「物部の置松」。そんな、古い物部氏の痕跡があったのか。迂闊にも、知りませんでした。
上岡八幡宮は、ひまわり乳業の氏神様。その氏神様には、古い古い歴史と、古物部氏の思いが流れている。大切に大切にしていかんといけません。