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物部氏と十市、稲生〔5324〕2017/11/12

物部氏と十市、稲生

2017年11月12日(日)晴れ!

土佐史談会で購入した「石船神社(天忍穂別神社)には、石船が上岡から現在地の山川へ飛んでいく内容が具体的に書かれてます。

全国的に有名な石船伝説では、神が乗った石船は、最初、河内国、哮ヶ峰に降りてきたという。いかるがの峰。生駒山の北峰あたりに比定されてますよね。その後、桃尾山麓、白庭に降りた、と。饒速日、つまり物部氏のはじまり伝説だ。

一般的にはそこまでだけど、土佐では、その続きがある。神は、再び石船に乗り込んで天空を飛ぶ。たどり着いたのは、弊社の氏神様、上岡八幡宮さんが鎮座まします小山。そこに石船が降り立つ。上岡山。神岡山。

そして再び飛び立った石船は、野市町の富家、香我美町の西川を経由して、現在地の東川に鎮座した、とされます。富家では、石船が休憩した場所を石船屋敷と呼び、置いていった石船の帆柱を祀る祠があるといいます。

西川では、神様が休憩したときに神楽を舞ったので舞の川という地名が生まれたとか、様々な言い伝えが残ってます。

物部氏が、物部川河口から山間部へと本拠を移していった、その軌跡が伝承に残っているのではないか、と想像できますね。

物部氏が土佐へやってきて、物部川河口東岸を中心に勢力を持ったのは、聖徳太子の時代よりもずっと昔。古墳時代だという。ふるい。どんないきさつで、どんな人々を引き連れてやって来たのか。石船は頑丈な船、という解釈もあるので、ヤマトから、頑丈な船に乗って土佐へ移住してきたのかも知れません。

 

昨日の「物部氏の伝承と土佐物部氏」を読んでいて、気になったことがある。

物部氏の成り立ちや歴史が書かれた「先代旧事本紀」に描かれている内容。天磐船に乗って天降った饒速日命(物部氏の祖神)に供奉した氏族の名前が、書き連ねられているんだが、それによると。

 

五部人を副て天降し供え奉る(いつとものひとをそへて あまくだしつかえまつる)とあって、その五部人を記載。

 

物部造等の祖、天津麻良(もののべんおみやつこたちのそ、あまつまら)

笠縫部等の祖、天勇蘇(かさぬいべたちのそ、あまのゆそ)

為奈部等の祖、天津赤占(いなべたちのそ、あまつあかうら)

十市部首等の祖、富富侶(とうちべのおちたちのそ、おほろ)

筑紫弦田物部等の祖、天津赤星(つくしつるたもののべたちのそ、あまつあかほし)

 

気になりませんか?

 

今朝の写真は、高知東部自動車道から撮影したもの。この眼下は稲生。その向こう、朝日が昇ってくる海岸は、十市。いなぶ。とうち。で、田村を挟んで物部郷。

物部川河口の、東岸に物部郷。西岸に十市、稲生。とうち、いなぶ。

上の五部人にある十市部と為奈部に、奇妙に一致しているではないか。

 

古代物部氏は、頑丈な船で船団を組み、物部河口のラグーンへとやってきた。そして東側に本拠を置き、西側に有力家臣の一族が住んだ。

そんな妄想、いかがだろうか。

ひまわり乳業が本社工場を置く場所は、古代の土佐の、ひとつの中心であったのかも知れません。物部氏ですきんね。そしてそこから西に、有力家臣を並べ本拠とした。

しかしいつしか、都の勢力が国府を中心に強くなってきて、物部一族は、本拠を、香宗川沿いに遡上させていったのかも知れません。

 

十市部首等、為奈部等を従えた物部氏。

高速道路から見た十市、稲生。


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