消えた電灯とお月様〔5318〕2017/11/06
2017年11月6日(月)晴れ
昨日の夜は十六夜。満月を少し過ぎた、それでもまん丸に近いお月さまが中天に浮かぶ月曜の朝。
朝4時半過ぎ、いつもの上岡八幡宮にお参りすると、いつも拝殿前に灯されている電灯が消えている。だれかが消したまま点け忘れたのか、電球が切れたのか。いずれにしても、人工的な灯りのない神社。
森の中は真っ暗い。
でも、今朝は中天にまん丸お月さまだ。境内は月明かりで照らされ、参拝するのに不自由はありませんでした。
昔の人たちは、月明かりを、こんな風に感じていたんだろうな、と想像できる、そんな朝。拝殿の電灯が消えて、月明かりもなかったら。真っ暗い中、かなり苦労しての参拝になったと思います。お月さまは、すごい。
世の中に人工的な灯りが少なかった時代、月明かりは、夜の人々の生活にとってはとても重要なものであったんだと思う。先を急ぐ旅人は、月明かりの中を歩いただろうし、夜、どうしても野外で作業をしなければならない場合は月明かりが頼り。月の大きさ、明るさで、人々は生活のパターンを変えていたこともあるでしょう。
知人の、紀伊半島尾鷲の伊勢海老業者さん。飲み会は満月の日が都合が良い、とおっしゃっておられました。満月は、漁に出ないので。満月になると海中から漁師もよく見えるので、伊勢海老、獲れ憎いんだそう。だから満月の日は漁は休むんだそうです。
あと、夏の暑い盛りには、昼間の歩いての移動は辛い。なので、満月の頃合いには、夜、歩いたのかも知れません。夜盗が怖いけど。
以前にも書いたけど、中東の砂漠とかでは、暑い時期の移動はもっぱら夜であったと言います。月明かりを頼りにして。
でないと、昼間のお日様は強すぎる。命の危険すらある、日中の移動を避けて、夜、お月様の下を歩く。だから、お月様をモチーフにした国旗が多いのか、などという考察をしたこともあります。
月の砂漠をはるばると、ですな。
写真は、上岡八幡宮の、石段を迂回する緩い坂の参道から撮影した拝殿、本殿。
真ん中右手に月明かりに照らされて輝くのが、、本殿の屋根。その左手に拝殿。シャッタースピードを落として撮影してみました。いつもなら拝殿前に電灯が点いているので、こんな風景は撮れません。
でも、昔から、こういう自然の中で人々は暮らしてきたということを思い起こさせてくれる。月明かりの下の、静かな、朝。
僕らは、自然と共にある仕事をしてます。自然の恵みが、僕らの飯の種。自然を全身で感じ、自然を大切にし、自然の有り難さを実感し、自然に感謝する。それが大切。
消えた電灯のおかげで、そんなこんなを考えることができました。
良い朝。