26年目の真実、高知牛乳〔5319〕2017/11/07
2017年11月7日(火)晴れ
昨日、会社の、受発注業務をやっている事務所に、結構古い地図があることに気付きました。いかにも現在の地図みたいに見えるけど、微妙に違う。僕がまだ20代の頃の地図なので、懐かしくなって見入ってしまった。
この写真。真ん中に見える「高知牛乳」。おう。
思わず、いつの地図なのか調べてみると、右下隅にありました。1988年の地図だ。
ん?
1988年というと、昭和63年。高知牛乳ではないではないか。その頃、弊社の社名はひまわり乳業だ。昭和46年に、高知牛乳食品株式会社からひまわり乳業に社名変更。昭和48年、土佐市の南海乳業と合併してひまわり南海乳業。そして昭和58年、ひまわり乳業。なので、昭和63年というと、高知牛乳ではなくなって17年も経過しているのである。仕事が雑いね、ちょっと。
まあ、僕が20代の頃は、弊社のことを「高知牛乳」と呼ぶ酪農家さんや販売店さんもいらっしゃいました。そんな時代の、地図。
よく見てみると、面白い。
まだ高知空港は今より滑走路が短い。滑走路の西側の南北に走る農道は、ない。
興味深いのは船岡山。大そねの、吾岡山の西、グドラックさんの南側の山。今は内側がえぐり取られて外周だけになってしまった船岡山ですが、この地図では標高54.1mのちゃんとした山に表示されてます。現在の地理院地図では、整地されて移設された住吉神社の標高40mが表示されているばかりなり。
ん?
そんなに高いわけ、ないぞ。あの、住吉神社。地理院地図で十字を合わせてみても、15mくらいにしか表示されんし。新しい発見。謎の40mだ。
それはともかくこの地図。
曙街道の計画線が破線で引かれてます。国道195号線バイパスの計画線として。後免駅の北、年越山の南、小籠を東西に走る道路は、この時点で、できてます。その道路がまっすぐ東へ走り、鳶ヶ池中学校の南を抜けて山田の方へとつながる計画道路。
でも、近年開通した曙街道は、そこ、通ってない。年越山の北をまっすぐ山田へ向かうルートが、現実の路線。
国道の計画も、こうやって変更になることがあるんですね。なかなか一度決めたら変更せんようなイメージがあるけど、こうやって変更されることもあるんだ。用地買収が難航したのか、他に理由があったのか。
その他にも、たくさん、今の風景とは違う場所があって楽し懐かし地図。
記憶をたどると。
たぶん、僕が買うてきた地図だ。平成3年、つまり1991年に、現在の冷蔵物流センターと事務所ができてます。与力町から、引っ越してきました。その時、事務所のレイアウトを考えたのは私だ。
で、壁にかける地図、買うてきたんだと思う。そんな記憶が蘇ってきました。
でも、自分とこの会社が「高知牛乳」になっていたことは、昨日、気付いたのであります。
26年目の、真実。