地図の信頼度〔5320〕2017/11/08
2017年11月8日(水)雨
久々の、雨。昨日の夜から降り始めた、雨。
で、今日も、昨日に引き続いて地図。弊社受発注事務所にある、1988年製作の地図を見てみよう。
1988年というと、ついこの間みたいに思うけど、今から29年前。もうそんなになるのか。
それくらい経てば、景色も変わります。いやまっこと。
今朝の新聞に、昭和51年の高知の風景を撮影した写真展のことが載ってました。昭和51年というと、1976年。その撮影時にはなんのことはないただの町の風景が、今になってみれば実に貴重なアーカイブとなる。10年ひと昔と言いますき、41年前は結構な、昔。でも、ついこの間のように思うのは、年をとったせいですかね。
ヨウダイは置いちょいて、地図。この写真。
昨日もちょっと触れた船岡山界隈だ。1988年の船岡山界隈。標高54.1mの船岡山をご覧ください。この北には、当時も今も、レストラングドラックさんがあります。
今は潮見台ニュータウンがありますが、1988年当時は、影も形もございません。そして船岡山。7年ほど前、飛行機から撮影した船岡山はこんな感じ、外周だけ残して、内側は空っぽ。良質のケイ石が採取できるとかで、こんな風景になってしまいました。Googleマップの航空写真だと、もっとわかりやすいか。こんな感じね。
では、1988年には、まったく採取が始まっていないのかといえば、そうではない。やはり地理院地図の航空写真で、ちゃんと確認できるのであります。すごい。
現在のが、これ。外周だけになった船岡山の見慣れた風景。
1974年~1978年の航空写真だと、こう。南西から採掘を始めて、間もなく頂上に達する、そんな感じ。
では、1961年~1964年、つまり、僕が生まれた頃はどうだったかというと、はやり採掘してます。こんな感じで。結構古くから採掘始まっちょったんだ。
では1952年の航空写真。単写真なので、高解像度表示の方の写真を拡大してみてください。
ん?
採掘はされてない。けど、これはどう見ても畑かなにかだ。南西の斜面で、何かを耕作してます。
そんな訳で歴史が判明しました。
当初は畑として利用されていた、船岡山の南西斜面。畑作をしているうちに、そこで出てくる石が、なんか普通とは違うことに誰かが気付く。これは貴重な鉱石に違いない、と手を打ったのかどうかは知らんけど、とにかく誰かが気が付いた。
そして昭和30年代になって、誰かが土地を取得して採掘を始める。どんどん採掘を進める。
でも、最初の方のペースはそんなに速くは、ない。1952年、1961年、1974年の写真を見比べてみたら、時代はゆっくり進んでいることが、わかる。
この地図のように、1988年時点でも、まだ、頂上が54.1mだ。まだ、そんなに進んでないのか?
ところが、単写真の、1987年のを見てみたら、すでに頂上はなく、かなり採掘が進んでいることが判明しました。しかも、潮見台ニュータウンの造成工事が進んでいることも、わかる。そうか。あの頃、造成されていたのか。
そんな訳で、地図は、注意して見ないと、情報が古かったり正確でなかったりする場合がある、ということを教えてくれるのが、この地図でございます。なんせ、高知牛乳ですきんね。
そんな中、地理院地図の正確さ、秀逸さは、光る。とにかく有益な情報量が半端ではないね。いくらGoogleマップが頑張ろうが、その情報量では地理院地図の足元にも及ばないのであります。こないだ、大学で地理を勉強したという方と話していて、地理院地図のすごさを語りつくしたことでした。
でもね。現在の地理院地図でも、船岡山に40mという標高が書かれている。明らかに、間違いだ。弘法も筆の誤り。それでも地理院地図のすごさが否定されるわけではありません。それっぱあのことには眼をつぶろうではありませんか。ね。