オリンピックと市営プール〔5290〕2017/10/09
2017年10月9日(月)秋晴れ
ああ。良いお天気。秋晴れの体育の日。今日が区民運動会のところも多いでしょうき、この素晴らしいお天気はとても良いこと。はりまや橋小学校の区民運動会は、来週。
追手前小学校があった頃は、追手前小学校区区民運動会、頑張って参加してました。進行役もやってました。会社のメンバーにもたくさん出場してもらっていましたね~。
そもそもこの季節はスポーツするのには最適。この季節に体育の日がある、というのもわかりやすい。1964年の東京オリンピックの開会式が10月10日に行われたので、10月10日が体育の日になったというのは有名な話。僕らが子供の頃は、体育の日と言えば10月10日。
いつしか、10月の第二月曜日ということになったけど、この気持ち良い季節であることに、変わりはない。
前回の東京オリンピック。僕には、記憶がほとんどない。3歳の僕。ただ、その時に、うちにテレビが置かれたことは間違いないらしい。カラーテレビが登場した時代ですが、うちは白黒テレビ。二階の、階段上がったところに置かれた白黒テレビ。四つの丸い脚の上に乗った白黒テレビは、いつの頃まであったっけ。
話が逸れました。オリンピック。2020年の東京オリンピックは、7月24日から8月9日まで。とてつもなく暑い盛りだ。しかも湿度も高そうな、一年で一番スポーツをしたくない時期。何故、そんな時期にオリンピックをやるのか、と、批判もありました。でも、オリンピックを招致するときから決まっちゅうんですってね。欧米のテレビ番組編成を優先すると、欧米で人気プロスポーツ開催が少ない時期が、必須であす、ということ。なんだそりゃ。
いつからそうなのか?
いつからか知らんけど、過去のオリンピックの開催期間を見たら、南半球開催を除けば、1964年の東京オリンピックが10月に開催されたのは、とんでもない例外であったことが、わかる。ね。こんな感じ。
アジアで初めてのオリンピック、ということで、IOCも寛容な姿勢を見せてくれたんでしょうかね。知らんけど。
でも、選手にとってはかわいそう。マラソンなんか、とんでもないよね。今日もこうやって走っているけど、これでも暑うて暑うて、こたいました。10月にこれですき、8月に走るのは大変。
僕も、時々炎天下ラン、やります。頭がクラクラしてくるのが苦し心地良かったりするので。
苦し心地良いの、たまに、好きです。でもそれはかなり危険な行為なので、良いこのみんなが真似してはいけない。
そろそろオリンピックも曲がり角なんでしょうかね。決まったような国で、決まったような競技を、確定された時期でしか開催できんオリンピックは。
そうそう。高知でオリンピックと言えば。
大正13年のパリオリンピックで水泳に出場し、800mリレーで4位に入賞した宮地虎彦さんが、最初の高知県人。昭和3年のアムステルダムオリンピックでは監督もしちゅう宮地さん。
そして昭和7年、ロサンゼルスオリンピック、1500m自由形で金メダルを獲得した北村久寿雄さん。高知商業の学生さん。その後、東大法学部を卒業したというすごい人。同じオリンピックで、同じ高知商業の横山隆志選手が800mで金メダル。この二つの金メダルを記念してつくられたのが、ここにあった高知市営ブールだ。
僕らが子供の頃、泳ぎにきていた屋外プール、高知市営プール。
とにかく水が冷やかった記憶が鮮明。でも、よく泳ぎに来たもんです。自転車で南国橋を渡ってね。あのプール。昭和7年の高知県人金メダルを記念して、県民市民の寄付も募って建設されたものなんですね。当時の県民の盛り上がりのすごさが解ります。
今は、高知市の総合体育館ができてますが、やはりプールがあります。市営プールの文脈を受け継ぐ体育館。この写真の四角い建物。でも、場所は少し移動してますね。
これが地理院地図の現在の航空写真。真ん中、十字の部分が総合体育館で、プールがある。
金メダルを記念して作られた、僕らが子供の頃の、あの、こじゃんと水が冷やかった市営プールは、今の補助グランドのところにありました。1974~1978年の航空写真を見るとわかります。これ。
そうそう。飛び込みプールもあったあった。
あのプールが作られて以降、高知県人がオリンピックで金メダルを取ってないんですね。立派なプールがなかった時代に工夫して練習し、金メダルを獲得した先人のすごさ。
最先端の情報を仕入れ、科学的合理的に練習していたんだと思う。