鉱物資源と読み違いの歴史〔5259〕2017/09/08
2017年9月8日(金)晴れ
今朝は高知。昨日、名古屋の小牧空港から飛行機でモンて来ましたが、搭乗前、高知地方落雷のため、名古屋へ引き返すこともあります、てなアナウンス。それは、困るぞ。
まあ、結果的には無事帰って来れました。高知空港着陸時は、おだやかな小雨が降る静かな気候でした。でも、聞いてみると、その直前まで雷、すごかったみたい。
今朝は打って変わって心地良い青空が広がる素敵なお天気。
用事があって、大豊町へ向かってます。その途中。国道32号船沿いのJR土讃線繁藤駅。その駅舎の、ホーム側の壁面に掲げられた「高知線の歌」の24番歌詞が、これ。以前にもご紹介したかも知れんけど、まあ良いか。
昭和7年7月制定の高知線の歌。土讃線が高知から角茂谷駅まで開通したのが昭和5年。まだ、角茂谷が終点であった時代に制定された歌詞ですな。
もちろんメロディは、「汽笛一声新橋を~」のメロディなので、ぜひ、歌ってみてください。
歌詞に特徴的なのがマンガン鉱。そう。この繁藤駅(当時は天坪駅)から穴内川沿いに遡上する鉄道線が引かれ、その先にはマンガンの鉱山があったのでありました。
マンガンは製鉄に必要な鉱物で、国内では非常に貴重。また、太平洋戦争中には乾電池用にも採掘された、マンガン。漢字で書くと満俺。軍需鉱物でもあったので、世界と戦争している日本で産出される満俺は貴重だったのでありました。
この写真の左手の向こう側。あの界隈に、そのマンガン鉱を運ぶ鉄道の終点があったと言います。
日本は、鉱物資源や化石燃料資源のほとんどを海外に頼らざるを得ない国。それはもう、宿命。戦争中、あちこちで小規模の満俺鉱山などが開発されたものの、世界の産出量から言えば知れたものでございました。
で、軍需資源と言えば石油。
昭和16年、日本軍は南部仏印(現ベトナム)に進駐する。世界中の反対を押し切って。押し切っても大丈夫だろう、という甘い甘い判断でね。
結果、アメリカは激怒して日本への石油禁輸に踏み切り、にっちもさっちもいかなくなった日本は戦争に突き進むことになる。日本には石油、ないですき。
読み違い。
世界の歴史や戦争のきっかけを見ていると、この、楽観的な読み違い、という事例は山のようにあります。哀しいことにね。
日露戦争の前、ロシア皇帝は、まさか日本が抵抗して軍事行動を起こすとは想像してなかった。
さてさて。
今、某国への石油禁輸措置をめぐって各国での微妙な駆け引きが行われてます。僕は、石油禁輸、と聞くと、南部仏印進駐を思い出す。
今の兵器は、我々地球人にとって取り返しのつかない威力を持っている。くれぐれも、読み違いの無いよう、為政者の皆さんには望みます。長い歴史の中で繰り返してきた読み違いがないことを、地球人の一人として、望みます。