宮峠の泣き別れ〔5253〕2017/09/02
2017年9月2日(土)高山は薄曇り
そんな訳で、今朝は飛騨高山。昨日、高知駅15:13発の特急南風に乗ってやってきました。飛騨高山に到着したのは22時をかなりまわったところ。やはり、遠い。
こんな遠くの飛騨酪農組合様が、弊社の青汁「菜食健美」を、飛騨「菜食健美」として販売して下さっている、というのは本当にありがたいことです。
そういうことで飛騨高山。
今朝は少し遅め、6時にホテルを出て、走ってきました。今まで、高山で朝を迎えると、飛騨高山の町並みとか、高山城址とかを走ってます。でも、今朝は少し趣きを変えて。地学的に面白い、高山~飛騨一ノ宮~宮峠ラン。
地学的にとても興味深い場所だが、それはそれとして、まずは高山の街中を、走る。
やはりすごいですね、飛騨酪農組合さん。
宮川という一級河川沿いに南下していきましたが、「飛騨牛乳」と書かれた牛乳の受け箱、本当に多い。地域にこれほど地域の乳業メーカーに受け箱が並ぶ風景も、最近では珍しくなりました。飛騨酪農組合さんの地域での力を感じさせてくれます。僕らも頑張らなくっちゃ。
と、そんなこんなを感じながら南下する。宮川は、南から北に流れる川なので、南へ遡上していく感じだ。僕らの場所とは逆。日本海へ流れる宮川を、南へ遡上。宮川の両側は険しい山になり、その谷を抜けると飛騨一ノ宮。水無神社という、由緒ある大きな神社があり、飛騨一ノ宮なので、地名も飛騨一ノ宮。
その水無神社(みなし神社)から、宮峠という峠を越えて久々野へつながる街道は、昔から、名古屋や江戸へと向かう街道。今朝は国道41号線を走ったので、かなり遠回りになったけど、ふうふうぜえぜえ坂道を駆け上って、ここ、目的地の宮峠。ここへ来てみたかったのである。泣き別れ。
分水嶺。昔から、分水嶺のことを泣き別れという。
今まで、このにっこりひまわりで分水嶺をご紹介したのは数えるほどしかありません。高知の、南国市から四国山地へ入る根曳峠。あそこで、太平洋へ流れる水と、吉野川になって徳島に流れる川が泣き別れる。
あと、松山の南、三坂峠。あの峠で、太平洋へ流れる水と瀬戸内海へ流れる水が、泣き別れ。
でもね。太平洋と日本海の分水嶺は、まだ、自分の足で走ったことなかった。今日はそれができる貴重な機会、ということで、飛騨高山駅前からえっちら10kn走って駆け上がってきたんでございます。良かった良かった。
この向こうが、飛騨一ノ宮から久々野へ抜ける国道41号線の宮峠。標高782m。高山駅前の標高が573mなので、210mほど駆け上ってきたことになる。
高山市内には宮川という川が流れ、宮川朝市などが有名。その宮川の源流が、この峠を含む連山「位山」。位山分水嶺、という名称があるように、その連山は、本州島の分水嶺。そっから北は日本海へ流れ、そっから南は太平洋へ流れるその宮峠で立ち小便したら、それは日本海と太平洋へ分かれて流れてゆくのだ。現在も、乗鞍岳から流れ出た飛騨川は、位山分水嶺の南を流れて南流し、そしていつしか太平洋。
ところがだ。
その位山分水嶺は、実は、ここ100万年くらいの断層運動、つまり逆断層の隆起によってできた山なんだそう。発掘によって、その盛り上がり以前は、飛騨川は乗鞍岳から西へ流れた後、北へ流れて宮川と一緒になっていたらしい。すごい。
100万年というと、つい最近の話ではないか。つい最近まで、この峠は分水嶺でもなければ泣き別れでもなかった、という訳だ。タモリさんが聞いたら大喜びしそうな、そんな珍しい泣き別れまで、今朝は走ってきました。ああ。満足。疲れたけど。
ほんの、200mくらいの隆起。逆断層のズレによる隆起で、それまで日本海に流れていた川が、太平洋へ流れるようになる。その現場を体感できるのが、宮峠。
流れが変わる。
それは、ほんのちょっとしたきっかけ。なんということはない、ちょびっとのきっかけが、その結果を日本海から太平洋まで変えてしまう、という地質学的事実は、たくさんのことを僕らに教えてくれます。
今、会合が終わって、飛騨高山駅に併設されたカフェで汽車を待ってます。
このカフェ、実は、今朝も来ました。会合が始まる前、コーヒーを飲みにきた、カフェ。
カフェのお兄さんが、朝来たときのレシート持ってませんか?と尋ねてくる。いや、捨ててしまった。そのレシートがあれば、コーヒー1杯100円になるのだそう。400円のが。
捨ててしまったので、仕方ないですね、と僕が言うと、そのお兄さん「いや、私が覚えているので100円でかまいませんよ。」。
ああ。なんということ。今風の言葉で言えば神対応。
朝来た、一人のおじさん客を覚えていて、そんな対応をしてくれるお兄さん。僕は確かに、印象的な風貌かも知れんけど、それでも嬉しいですよね。
こんなちょっとした対応から、すべてが変わる。そんなことがあるかも知れないので、ちょっとしたことを大切に、疎かにしないように生きて行こうと思った、飛騨高山でした。