防災の日、将来のために〔5252〕2017/09/01
2017年9月1日(金)秋晴れ!
今日から9月。新学期。夏休みが終わって最初に登校するときの、あの感覚が懐かしい。今日の朝からまた、元気に登校する子供達の姿を見られます。子供は活力。子供は希望。
ところでこないだ、「ジャック・アタリの未来予測 2030年」という本を読みました。30代でミッテラン大統領の特別補佐官になり、40代で欧州復興開発銀行の初代総裁になった、天才と呼ばれた人物が、ジャック・アタリ。ソ連の崩壊とか、金融危機とか、トランプ大統領の登場を的中させた人物でもある。フランスのマクロン大統領を世に出したのも、彼。
その人物が、この地球のこれからを大胆に予測。説得力のある非常に厳しい予測を展開する本で、その最後に、この悲惨な未来から抜け出し明るい未来へ進むための処方箋をいくつか書いてます。
学校や法律の教科書など、いたるところに、利他主義、寛容な精神、誠実さを養うための学習を取り入れろ、など、示唆に富んだ処方箋を書いてますが、その中に、国連総会のもとに、30歳未満の若者をメンバーとする次世代議会を設置せよ、というのがあった。で、安全保障理事会は、その議会の意見について討議することを義務化せよ、と。
現代の地球では、次世代に負債を先送りしながら目先の快適さ、利益を追求する姿が目に余る。もちろん日本もね。
この本の中に「経済と金融の世界的危機を引き起こす六つの火種」というのが紹介されてますが、その一つに、巨額債務を抱える日本の財政、日銀の国債買い入れリスクを挙げてましたが、これこそ、僕らの子供世代への、我々の負債の付け替えに他ならない。
将来の利害関係者が、政策決定に関わらないのは、地球にとって良くない、という考え方。なるほど。
人間というのは、実際に目の前に危険が迫らないと、負担になるようなことはしようとしない。先送りしたくなる生物である。
今日は9月1日。防災の日。
大正12年9月1日に発生した関東大震災を忘れないように制定された日。しかし、忘れてましたね、完全に。東日本大震災が起きるまで、まったく危機意識を持ってませんでした。
あの、東日本の凄まじい惨状を目の当たりにして、我々は、初めて防災意識に目覚めたと言えましょう。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮の山。上岡山。
ここに2012年頃から避難路の整備が始まり、2013年に完成。海抜33.9mの頂上にはソーラーの灯りもつくようになり、きれいになりました。てっぺん近くの階段の上から撮影しました。
東日本大震災がなかったら、こんな避難路を整備しよう、などと思いもしなかったことと、思う。
南海地震は、遅かれ早かれ必ず起きる、ということはわかっていても、それがどんな被害をもたらすかは、イメージできていなかった。それが、あの大震災を目の当たりにして突然危機意識に目覚めた。そして、各地の避難タワーや、こういった避難路の整備に結びついてます。
東日本大震災という甚大な犠牲がなければ、今も、高知の沿岸は、なんとなく危ないだろうな、くらいの感覚で過ごしていたのかも知れません。
将来のことを正確に予測する。これは難しこと。でも、目の前の事象と、そこから起こりうる将来のことを考えることは、将来の地球に住む人々に対しての、我々の義務。
そんなことを思う、防災の日。