土俵〔5214〕2017/07/25
2017年7月25日(火)薄曇り
暑い。蒸せる。温かくて湿った大気が動かない。朝起きると、汗びっしょり。出社前に今一度シャワーを浴びんと、気持ち悪くて仕方が無い、そんな朝。
神社のあるところに土俵あり。
そう。それが、相撲王国土佐の風景だった。それが、昨日書いたように、どんどんと廃れてきて土俵マットになっちゃった。土俵が無いのならともかく、立派な土俵があるのにそれを使わずに土俵マット、というのは少しだけ、寂しい。
まあ、自分が相撲する訳ではないので、偉そうなことは言われません。
ここは今朝、5時前の野市、上岡八幡宮。明るんできた境内に、土俵が浮かび上がる。左手の盛り上がった部分が、土俵。もう、使われなくなって久しいのだろうか。美しい芝に覆われ、これはこれで美しい。そんな、土俵。
土の土俵が固くて危ない、ということであるのなら、この土俵は大丈夫だ。緑の草が見事なマットになっているので、怪我の心配もないですね。
昨日のにっこりの写真ではわかりにくかったかも知れませんが、神社の土俵の正しい有り様は。
注連を張り、四隅に竹の柱。その柱には弊を添えて、清浄であることを示す。
そう。神社の土俵は神聖にして清浄な場所であった。
本山町上関阿弥陀堂の奉納相撲でもやってましたが、大会が始まる前に、神事としての相撲が行われる。いわゆる一人相撲というやつですね。で、神様に負ける。
猟師さんの場合、獲物を仕留めた者と、そうではない者が相撲をし、必ず、仕留めた者が負けるという相撲を取る。
お祭りで、今年の祭主をつとめる地区の祭主と、来年の地区の祭主が相撲を取り、必ず来年の祭主が勝つ。
そんな感じで、家運隆盛を願う神事として行われた相撲。
ところで相撲といえば豊ノ島。
高知県宿毛市出身の力士。今は幕下28枚目まで落ちているので、関取ではないが、立派な力士だ。人間性が素晴らしく、昔から大ファン。このにっこりでも、幾度かご紹介してます。
小兵ながらどんどんと勝ち進んでいったのが、2007年くらいのこと。そうか。あれからもう、10年にもなるのか。
その頃、活躍が嬉しくて、弊社の高知育ちヨーグルトのセットを、所属している時津風部屋に送って、激励の手紙を書いたことがあります。
ある日。
会社に電話がかかって来ました。僕が出ると、受話器の向こうから「豊ノ島です」。わざわざ、お礼の電話でした。本人から直接。ビックリしました。それだけではなくて、その後、豊ノ島関の実家の豆腐屋さんの詰め合わせセットを送ってきてくれたのであります。ビックリ。
その豊ノ島、アキレス腱断裂という大怪我をしてしまい、休場を経て、幕下まで落ちてしまいました。ここまで活躍してきた力士なら、そろそろ引退を考えそうなもの。年齢も年齢だし。普通なら、そうする。
ところが。
彼は引退しなかった。万全ではない体調でありながら場所に復帰。
三役をつとめ、幕内上位で相撲を取っていた本人にしてみれば、不本意極まりない地位で、不本意極まりない相撲を取り続ける。引退せずに、取り続ける。
この名古屋場所では、東幕下28枚目で、5勝2敗。3場所ぶりの勝ち越しだ。相撲勘が戻ってきたのか。気力なのか。
場所を終え、家族と手をつなぎながら帰る豊ノ島が、報道陣に対して投げかけた言葉。
「今場所も引退しなくて、悪いね。」
ちゃめっ気たっぷりの豊ノ島らしいコメント。これだ。この人間性。これが豊ノ島。
相撲取りというより、人間としての大きさ、強さ、温かさを持つ豊ノ島を、僕も、見習いたい。