中学校2年生の夏〔5201〕2017/07/12
2017年7月12日(水)今日も暑いですね
今朝は、松山のお客様への訪問がありまして、朝から国道33号線を走ってました。高速道路ではなくて、下道。そんなに時間は変わりませんし、少し早めに高知を出れば、下道の方が快適だったりするので。
でも。
今朝、会社で一仕事済ませて出発したのが丁度7時。なので、途中、渋滞に引っかかってしまった。ここは日高村、日下の入り口。7時代の国道33号線は、佐川方面への車線もこんな感じでかなりの渋滞。
なんか、懐かしい風景だ。思い出した。今から40年以上も前の風景。
どういう訳か、妙に記憶に残る、なんでもない風景、てありますよね。僕にとって、それが、中学校2年生の時の、この場所での渋滞風景。
僕が所属していたのは吹奏楽部。いわゆるブラバンというやつだ。で、中高一貫の学校だったもんで、中一から高三までが一つのクラブで、○○高校吹奏楽部。当時は中二でしたが、高校吹奏楽部の一員でした。当時の吹奏楽部は、ほとんどが、男子。女子は学年に一人か二人くらいという、男のクラブであった吹奏楽部。
当時。吹奏楽コンクールで高校A部門というのは、定員45名。上手な学校は、どこも、定員いっぱいの団員で演奏していた。ところが僕らは、半数以上を数える中学生を含めても30人くらい。しかも、合奏で音楽を作っていくのは、基本、自分たち。幹部学年の部長さんか、音楽センスのある者が指揮をして、曲を仕上げていく。
本番近くなってきて、学校の数学の先生がやってくるようになる。そして指揮を始め、音楽を仕上げる。そんな感じ。
ちょっとね。今では考えられんと思いますが、そんな僕らの学校は、高知県代表になっていました。これ、ホント。
で、あの、夏。
野球部が甲子園に出場してしまう。僕らブラスバンドは、もちろん応援団の一員として甲子園へ。前にも書きましたね。1回勝ち、2回戦までの一週間は、甲子園近くの幼稚園に泊まり込み。当時は遠かったんです、甲子園。
まあ、2回戦で負けて帰ってくる訳ですが、それからが大変。なんせ、8月の終わりに四国大会があるんだから。甲子園のウキウキ気分から、一気に練習モード。で、その年の四国大会が行われた松山へとバスに乗って出かけたのでありました。
その時の記憶。
まあ、中高生がバスで松山へ行く訳で、車中は賑やかなもの。当時はもちろん、高速道路の「こ」の字も無い時代なので、国道33号線だ。
伊野を抜け、日高村へ入ったところで、道路工事かなんかの渋滞になり、バスがゆるゆると進む。その車窓から、日下の北に聳える山々を見た。
その何気ない風景を、どういう訳か、今も覚えているんですね。
今朝、日下の入り口で渋滞になり、そんな昔の、なんということはない風景を思い出したという訳です。
つまらん話で申し訳ない。でも、僕にとっては、青春時代の大切な記憶の風景。
ちなみに、四国大会は予定どおり敗退しましたが、台風が接近し、高知へ帰れなくなる。仕方ないので、バス会社が手配してくれた道後のホテルで一泊し、帰ってきたのが、あの時のことでした。新ピカの、立派なビジネスホテルでした。温泉大浴場もあった。いや、楽しかった。
部屋に、飲み物が入った自動精算の冷蔵庫があった。朝になって精算するときに、久万田が赤まむしドリンクを飲んでいたの、今も、よく覚えてます。
甲子園で寄付金が応援団にどっさり回ってきていたので、そんなことができた、とは、随分後になってから聞いた大人の事情だ。いや、これは今も内緒の話か。誰にも言うてはならない、大人の事情。
そんなこんなの夏の日を、この渋滞が思い出させてくれる。