高知駅前電停の貴重な痕跡〔5198〕2017/07/09
2017年7月9日(日)あづい・・
日曜日。雲は多いものの、蒸せます。
今朝は高知の街中を走ってみましたが、暑い暑い。湿度が高くて蒸せるので、汗が滝のよう。痩せたかも知れません。ビール飲むまでは。
で、市内RUNで、久々に渡ってみました。高知駅前の歩道橋。右手に高知駅のドーム。2008年2月26日から営業を始めた新しい駅舎は、今も、まったく古びた感じもなく営業を続けてます。当たり前だ。まだ10年経たんのに。
眼下。
とさでん交通の電車が走る。う~ん。馴染めない。あの電車は、やはり「とさでん」ではなくて土電の電車だ。これからもそう呼びましょうよ。
2009年に、高知駅の駅舎南に隣接するようにできたのが、新しい土電の高知駅前電停。旧駅舎の解体終了後、作られました。
それまでは、今、電車が走っている少し北のところにあった。でも、その停留所も2001年4月にできたもの。
僕らが慣れ親しんだ高知駅前電停は、この下にありました。この、歩道橋の真下。
そもそもこの歩道橋の主たる役割は、高知駅前電停へ行くのに渡ること。そうだったですよね?
当時の電車は、電車通りを北上してきて、この駅前道路の所で右折。道路の真ん中にしつらえられた高知駅前電停が終点だった。
それだと、高知駅とのアクセスが不便だということで、北へ直進したところにつくられたのが2001年の停留所だ。そして高知駅の建て替えで、2009年、現在地に移った、ということになります。
で。
今、僕が手を置いて立っている場所。ここに、電停へと降りていく階段があった。反対側にも。
この真下が電停であった痕跡が、このように見事に残っていることを、皆さんはご存知でしょうか。
地理院地図で見てみました。1974年~78年というこの写真。見えにくいですけども、この歩道橋と停留所が見えます。この単体写真を拡大した方が見えやすいかも、知れません。
そして今日の本題。
高知駅前の電停は、最初からこの歩道橋の下に存在した訳では、ない。そう。なんと、1951年(昭和26年)までは、電車通りを北進してきた電車は、この駅前道路の所で左折し、高知駅近くに終点があった。そうなんです。
まあ、よく考えると、戦前は、貨物輸送もかなり重要な役割であった土電の電車。高知駅の貨物列車のホームから離れていたら、用事にならん。
1947年(昭和22年)に米軍が撮影した航空写真が、これ。よく拡大して見てみよう。
かなり見えにくいですが、電車の軌道は、左斜めに曲がって高知駅へ。そこには、高知駅からの貨物の引き込み線も伸びてきている。
そんなしつらえが、見て取れます。
今は、最早、その頃の面影も痕跡も、なにも、ない。
ここに、昭和26年から平成13年まで存在した土電の電停は、ここに、下り階段の痕跡を残すのみ。
この歩道橋も古いので、いつまでも、この痕跡が残されることは、ない。
時は流れ、風景は変わり、忘れ去られてゆく。