万城目正、林子平、細谷十太夫〔5119〕2017/04/21
2017年4月21日(金)薄曇り
そんな訳で今朝は仙台。今、東京へ帰る新幹線の中で、このにっこりを書いてます。仙台は、弊社と関わりがあります。少し深い関わり。
弊社の、高知育ちシリーズを始めとした、いくつかのこだわりの商品のデザインは、仙台在住のデザイナーさんがやってくれたりしてます。個人でやっておられますが、なかなか良いデザインをされますので、ここぞと言うときには、頼みます。
東北というのは、我々西日本とは違いますよね。空気も風景も違うので、デザインも少し透き通っていて洗練された感じ。北の国から見た高知のイメージは、また、新鮮であったりします。
さて。
今朝も早朝市内RUN。今日は、市街地から北部の住宅街をたつくって、様子を観察してきました。仙台の牛乳の宅配事情も、東京と同じく大手さんが強いですが、メーカーの力関係が東京とかとは少し違ってました。なるほどね〜。
仙台市の中心部から北へと行くと、標高が少しづつ、上がっていく。で、JR仙山線の北山駅界隈までいくと、かなりの急坂を登らんといけません。そこからは、仙台市街地が一望。
その北山の南に、龍雲院というお寺さんがあります。その入り口の門の脇に、「やすらかに万城目先生」と書かれたボードが。そう。「リンゴの唄」で有名な作曲家、万城目正先生のお墓がある菩提寺が、龍雲院なんですね。
そして。
龍雲院には、林子平のお墓もある。林子平は、18世紀の経世論客。浪人の身となって諸国放浪の後、姉の縁故で仙台藩の藩士となる。で、教育政策とか経済政策をどんどんと提言するも、まったく取り合ってもらえない。
そんな中、松前から長崎まで歩いて見聞を広げ、ある危機感を持つようになる。日本は、海防をちゃんとせんと、大変なことになる、日本橋からヨーロッパまでは一水路でつながっておる、と喝破した「海国兵談」や、世界の情勢を書いた「三国通覧図説」は有名。あの時代に、こんな本が書けたのは鬼才というしかない。
「海国兵談」は、自ら版木を彫っての自費出版。しかし、一仙台藩士が、そんな天下の大事を容喙するのはけしからん、内容は世を混乱に陥れる、ということで発禁処分となり、版木も没収されてしまったんでありますね。世にでるのが早すぎた鬼才。しかし変人でもあったようだ。
親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど 死にたくも無し
蟄居中にこれを詠み、自らを六無斎と号した面白い人。これ、好きです。なんか、ややこしそうな人物。でも、能力はすごい。愛すべき人物。
この、お墓のある龍雲院界隈は子平町という町名になっているのを見たら、どんな歌を詠んでくれただろう。
写真は、その龍雲院境内。手前は、子平先生が長崎から持ち帰ったという日時計。
そしてこの龍雲院には、他にも有名な人物が。細谷十太夫。仙台藩の隠密で活動した後、戊辰戦争で、侠客や博徒、猟師などで「衝撃隊」を組織し、徹底したゲリラ戦を展開。黒い装束で活動したので「鴉組」と呼ばれた「衝撃隊」は、三十余戦を戦い、一度も負けなし、という実力で新政府軍を悩ませた、と言います。
その十太夫、仙台藩降伏後は指名手配されて潜伏し、明治になってからは西南の役や日清戦争で大活躍。北海道開拓に従事したりと様々な経歴を重ねた後、ここ、龍雲院の住職になったんでありますね。なんだそりゃ。
林子平は、出家したくも叶わなかった。その子平を敬愛する十太夫が、子平の菩提を弔うために出家、子平のお墓がある龍雲院の住職になった、という訳だ。
写真。向こうにお地蔵さんが見えます。細谷地蔵。細谷十太夫さんの坐像。
大切なのは、ほとばしるような熱い想い。子平先生にも十太夫さんにも共通する、熱い想い。周りに何と言われようと、貫き通す熱い想い。
良いお寺さんです。