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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

山内会館、高知城歴史博物館、そして啓沃〔5072〕2017/03/05

山内会館、高知城歴史博物館、そして啓沃

2017年3月5日(日)素晴らしいお天気

昨日から「土佐のおきゃく」が始まり、志国高知幕末維新博も始まり、高知城歴史博物館も開館した、高知。なんか、春だ。
で、弊社の組合の皆さんと一緒に出場する、ろうきん駅伝大会は、次の土曜日。ああ。全然走れて、ないぞ。
てな訳で、今朝は鏡川沿いを走ってきました。久々の鏡川、心地よかった〜
心地よかったのと、早く走れるのとは別問題だが・・・
まあ、皆と一緒に走ることを楽しむことにいたしましょう。

さて。
昨日開館した、高知城歴史博物館。新聞によりますれば、最近発見された龍馬が暗殺される直前の手紙や高野切れなどが大人気にかありません。善き哉善き哉。
龍馬が、暗殺される2週間前に越前を訪れ、たばこ屋という旅館で由利公正と長時間面談した、というのは有名な話。2012年2月15日のにっこりで、その辺、福井の雪景色と一緒に詳しくご紹介しちょります。越前から帰ってからの、龍馬の手紙というのは、貴重だ。由利公正(三岡八郎)を急いで上京させ、新政府の財政を担わせるべきだ、という手紙。

高知城歴史博物館が建てられるきっかけとなったのが、山内家から高知県に寄贈された膨大な山内家の資料。それを後世にキチンと残していくのは、我々の義務。今までは土佐山内家宝物資料館というところで収蔵、一部が展示されたりしてました。山内神社の西側。

写真は、その、土佐山内家宝物資料館の南、鏡川沿いに立つ山内会館。昔は、結婚式場や宴会場として利用されてました。僕らが子供の頃に建てられたビル。色んな宴会、行きました。僕の姉の結婚披露宴も、山内会館だった。
山内家関係の膨大な資料は、資料館内だけでは収蔵、整理しきれず、宴会場としての役割を終えたこの山内会館の建物も利用して、整理収蔵されておりました。保存環境は、悪かったですね〜
その貴重な貴重な夥しい資料の数々が、今回、高知城歴史博物館でキチンと整理収蔵、展示が為されることになった訳だ。

新博物館。昨日今日は、かなり混み合うちょりますよね。あの、膨大な資料の数々は、じっくりゆっくりまったり見てみたいので、落ち着いてから、行こうと思ってましたが、今日の午後、寄ってきました。なかなかの人出でしたが、観るのに大変というほどではなく、現在の展示物は十分に見てこれました。龍馬の新発見手紙も、高野切も。

新しい博物館の館長さんは、前の土佐山内家宝物資料館でも館長さんだった渡部さん。とても好人物で、話も上手。で、強い信念も併せ持つ。
渡部さんのお話では、その膨大な貴重な資料の中でも、長帳という、藩政期初期から明治までの膨大な書簡類を綴じたものが、すごいそう。あと、明治から昭和までの古写真10000点、というのもすごい。
しかし、開館当初の今は、展示されちょりません。そのうち、色んな企画展の中で、見ることができるようになると思います。今から、楽しみにしちょきましょう。
幕末維新博と連動しちゅうので、今は、龍馬や維新関係のものが多い。そりゃあ、そうだ。

今日感動したものに、9代藩主、山内豊雍さんの、書。すごい。かなり堂々とした、書。
豊雍さんは、土佐山内家でも一二を争う名君とも言われる人物。飢饉などに襲われ、財政が逼迫した土佐藩を率い、数々の改革で財政再建を成し遂げた名主と言われちょります。
その豊雍さんの書に書かれている文字は「啓沃」。
掛け軸に大書された二文字。これは、心に思うことを包み隠さず主君に具申する、という意味だそう。この二文字を政庁に掲げ、広く、臣下の提言を求めた、という豊雍さん。

これだ。名君と呼ばれる人物に共通する、この、心。これが、良い空気感を生みだし、改革を成功に導いたのでありましょう。
啓沃。


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