ヤングプラザが無い〔5039〕2017/01/31
2017年1月31日(火)晴れ!
昨日よりは、ずいぶんと寒い。でもシビコオルほどではない朝。汽車に乗って本州方面へ向かっております。今は、朝6時高知駅発の特急南風車内。
この写真。家から高知駅へ自転車で向かう途中。北本町の一角。
ここに、ついこないだまで、ヤングプラザという2階建ての建物があった。1階には喫茶店や中華料理屋さん。そして2階は、ジャズ喫茶「アルテック」。
ネットでも、このアルテックのことについてはたくさんの方々が書いているので、情報は豊富。ここにヤングプラザができたのは1973年7月。僕が小学校6年生の時か。なんでも、ヤングプラザオーナーにしてアルテックマスターの青山さんの話では、奥様の実家の畑であったのだとか。
1970年の台風10号で被害を受け、どうしようかと思っていたところに業者からテナントビルの話が出て、つくることになったそう。
青山さんの奥様は、僕の追手前小学校同級生の女の子、Sさんのお姉さん。Sさんの実家の畑だったのか。そんな事情で、ヤングプラザができたとは、今の今まで知りませんでした。
そんな訳で、中学生になり、楽器を始め、ジャズ喫茶に出入りしたりするようになった頃には、もう、アルテックはありました。
そして、アルテックで行われるライブに、何度魂を奪われたことか。魂を奪われたことは鮮烈に覚えてますが、その演奏自体の記憶は、あまり残ってないのが残念ですが。
この場所で僕が間近に体験したのは。マル・ウォルドロン、アート・ペッパー、モンティ・アレキサンダー、ビル・エヴァンスなど。
ビル・エヴァンスですよ、皆さん。100人でいっぱいになるライブハウスで、目の前でビル・エヴァンス。しかもベースはマーク・ジョンソン、ドラムはなんとフィリー・ジョー・ジョーンズ。このトリオを高校生の時にここで体感できたのは、なんという幸運だったのでしょうか。
翌々年、ビルは亡くなってしまうので、本当に貴重な体験でした。
そしてアート・ペッパー。
僕は自分がアルトサックスを吹いていたので、特に鮮烈に、あの日のライブのことを覚えています。アート・ペッパーは、麻薬中毒から立ち直り、ツアーを再開した時期。若い頃の溌剌としたアドリブではなくて、枯れたような、しかし味のある、さすがの存在感を感じさせてくれるライブだった。
ライブ終了後、お店の横の通路に並んで待ちました。もちろんサインをねだる為。
しばらくして出てきてくれたアート・ペッパーはやさしいおじさんで、僕のアルトサックスの楽器ケースにサインしてくれました。その楽器ケースは今も宝物で、サインの文字が消えないよう、ビニールを張ってます。
アート・ペッパーは、あの5年後に亡くなるので、これまた貴重な貴重な体験となりました。
僕は、アルトサックスでは、アート・ペッパーは、リー・コニッツの次に大好き。そう。僕はクールなサックスが好きなのだ。あの日の体験が元になっていると思う。今でも、サインしてくれる彼の手元を覚えてます。
そんなこんなのアルテック。思い出深いアルテックも、建物老朽化の為にヤングプラザが取り壊されることになり、昨年10月31日、43年の歴史に幕を閉じたのでありました。