霜の車〔4994〕2016/12/17
2016年12月17日(土)晴れ!
昨日は、あれから淡路島、高松道、松山道、高知道と通って帰って来ましたが、四国山地、雪でした。そうか。六甲の山荘だけではなかったのか。
まあ、まだ、積もってはおらず、速度規制くらいだったので、なんとか次の仕事に間に合いました。もう、冬か。
で、今朝は、冷やい。氷点下ではないものの、会社に来てみると、車のガラスがこんな感じ。カチバリツイちょりました。もう、冬なのか。
ラジオの「今日は何の日」で、平成8年の今日、ペルー日本大使館公邸占拠事件が起きた、というのをやってました。もう、20年前になるんですな。あの事件、解決までの4ヶ月以上かかりましたよね。
突入時、怪我をした青木大使を始め、ほとんどの人質が救出されましたが、ペルー海軍特殊作戦部隊の2人の隊員と、人質のペルー最高裁判事が犠牲になったのは、残念でした。
あの青木大使は、なかなか個性が際立っておりました。
世界放浪中のJr.1号は、今、そのペルー界隈にいるんではないかと思われます。
で、更に「今日は何の日」では、明治32年の今日、東京市の水道工事が完成、新宿の淀橋浄水場で落成式、とやってました。淀橋浄水場か。現在、都庁とかのある、あのエリアは淀橋浄水場の跡地ですきんね。僕らが高校生の頃、新都心ということで高層ビルが建ち始めた、あの場所。
玉川上水とか神田上水に頼っていた東京の水事情は極めて厳しく、この淀橋浄水場と水道網の完成で、東京市民にキレイな水道水が行き渡るようになった。はずであった。
しかし。
なんと、それから、東京では乳児の死亡者数が増加していくんですね。まだ、細菌に関する知見が低かった時代。水道網を整備したことにより、かえって、乳児など体力の弱い者を襲う細菌が広まってしまったのか。
その事態は、大正10年から急激に改善されていくことになりました。どうやら、その直前のシベリア出兵の際に開発された液体塩素が、水道水の殺菌に使われるようになたからにかありません。時の東京市長は、後に、関東大震災からの東京復興計画を推進する、かの、後藤新平。
後藤新平は、医学校を出たあと、ドイツのコッホ研究所の留学していたという、細菌の専門家だったのであります。彼が東京市長になり、水道水の問題解決に液体塩素が使えることを考えたのに違いない。
これ、幾度かこのにっこりでもご紹介した、「日本史の謎は地形で解ける 文明・文化篇」に載っちゅう話。著者の竹村公太郎さんの説ですが、実に説得力があります。
こしこれが正しいとすれば、後藤新平さん、我々が思っている以上に、東京という大都市の発展に寄与したと言えるのでありましょう。すごい。
そんな訳で、明治32年の今日、淀橋浄水場は完成しましたが、東京市民の健康に、本当の意味で良い結果を残すことになるのは、それから22年後からのこと。なかなか難しいもんだ。
ともあれ、朝日を浴びて光る、凍りついた車のフロントガラス。
良い冬になることを期待しよう。