中央公園の遷り変わり〔4966〕2016/11/19
2016年11月19日(土)曇り
昨日からの雨も、朝のうちにはあがりました。曇り。今日は気温、上がりそうです。善き哉善き哉。
ここは中央公園。高知市の中央公園。堺町の北側、帯屋町の南側。この公園では一年中、なにがしかのイベントが行われてます。高知の市民にとって、実に便利なイベントスペースだ。
こんな、イベントができるような、広い空間のある公園になったのは、どれくらい前のことだったか。
しかも。
広い空間の公園に整備されてからも、ずうっと、基本的に飲食とか私企業の催しとかは制限されちょりました。厳しく。
昔、牛乳普及協会で大規模なお祭りを、この公園でやりよりました。その頃は、座って飲み食いできるような設営は、禁止。試食や試飲を、立ったままでやるのは構わないが、テーブルや椅子を並べての座っての飲食は、認められていなかった。
帯屋町界隈の飲食店の営業に影響を及ぼすから、てな理由だったと記憶します。
しかし時は流れ、いつしか、徐々にテーブルや椅子が並べられるようになっていきました。しかし、我々が始めた高知街ラ・ラ・ラ音楽祭のように、公共性の高いイベントが、主体。中央公園は高知市のみどり課が管理しているのであるが、なかなか難しゅうございました。
しかし、そんな縛りもいつしか解け、今は、かなり企業色の強いイベントもやるようになりました。時代の流れ。賑やかな方が、中心商店街にとっても良いですきんね。
近年、中心商店街の有り様に変化が見え、人口減少高齢化社会の中で、街中回帰の流れもでてきているように、見えます。そんな中、中央公園の果たす役割は、大きい。
春の「土佐のおきゃく」や秋の「豊穣祭」などは、もう、飲食ズバリの催しですきんね。広い桟敷席までしつらえた。こんな風景が展開されるとは、20年前には想像もできませんでした。善き哉善き哉。
今日明日はサニーフェスタ。高知の量販店、サニーマート様の大規模なイベント。食が溢れ、おいしそうな匂いが漂うイベントですね。弊社ももちろん出店してます。
写真は、その会場の東入口付近。右端に、「自由は土佐の山間から」と刻まれた立派な碑。ここに、明治初期、自由民権運動の総本山たる立志社がありました。
建物や商店が密集したこの界隈も、先の戦争で焼け野が原。その焼け野が原に並んだ闇市。高知の庶民の戦後復興は、そんな風景から始まった。
ここにあった闇市も復興に伴って整理され、跡地にできたのが中央公園。植え込みや噴水がデザインされた、ヨーロッパの公園のようなスタイルでした。僕らが子供の頃は、格好の遊び場であった中央公園。広場はなくて、植え込みなどで、遊んでました。
あの頃は、まったく、イベント広場ではありませんでした。
「自由は土佐の山間より」の碑の、もう少し右手から北へ、小径。新京橋の建物の西裏。その小径の西側には、小さな飲食店が並んでました。戦後闇市の名残、とも言われていた、小さい小さいお店の並ぶ長屋。その中に、カウンターだけの焼肉屋さん「平壌館」がありました。気の良いおばちゃんが一人で切り盛りする、焼肉屋さん。この焼肉が美味しい、ということで、子供の頃、親が連れて行ってくれる焼肉屋と言えばそこでした。平壌館。
中央公園の改修工事にともない、その闇市名残の長屋も取り壊され、平壌館もなくなりました。今も、そこを通る度にあの美味しい焼肉が焼ける場面を、香ばしい匂いとともに思い出します。
すっかり様変わりした中央公園。公園中に、今日明日、香ばしい匂いが満ち溢れている。