食堂車があった風景〔4965〕2016/11/18
2016年11月18日(金)晴れ
今日は、日帰り大阪。朝、車で会社を出て香川県の坂出。坂出駅からマリンライナーで岡山、新幹線で新大阪。
大阪市内でお仕事を済ませ、新大阪まで戻ってきたら丁度お昼だ。ここから、来たのと逆のルートで高知へ帰ります。16時からの会議に間に合うように。
で、写真は、帰りがけの新大阪駅。大勢の人々で賑わう新大阪駅の、新幹線のホーム。新大阪止まりの列車が入線してきまして、回送になりました。そこでアナウンス。駅員のおっさんが、少し関西弁が混じった感じで、「この列車は新大阪止まりで、回送電車になります。お乗り頂けませんのでご注意ください。」と述べた後、「ジス トレイン イズ アウト オブ サービス」と宣った。なんでカタカナで書いたかと言うと、カタカナだったから。しかも大阪弁だ。いや、大阪を体感できて嬉しかったです。
それはともかく、左手は売店。駅弁をたくさん売ってます。
お昼に新大阪を出て高知へ帰るなら、昔は、食堂車を利用してました。新大阪で新幹線に乗り、そのまま食堂車へ。食堂車で列車の食事を満喫し、コーヒーを飲んだら岡山駅。便利で快適でした。良い時代でしたな〜。
食堂車が新幹線から消えたのは2000年のことと言いますき、もう16年にもなるのか。で、今年まで、北海道へ行く寝台特急に食堂車があったそうだが、その寝台特急がなくなった今、僕らがイメージする普通の食堂車は日本のJRから消えてしまいました。
残っているのは、観光列車とかレストラン列車とか、まあ、いわゆる企画モノだね。
僕たち昔ながらの鉄道ファンは、そんなの、ちょっと、違うと思ってます。
つまり。
鉄道はあくまで移動手段である。その移動の間に存在するサービスが、非日常空間であり、楽しい。企画列車、観光列車は、そもそも観光用なので、様々なサービスが付属するのは当たり前で、非日常でもなんでもない。
そんな訳で、新幹線で利用した食堂車が、ノスタルジックに想い出されるのでありました。
こんなことを書きよりましたら、新幹線は姫路駅へ。そう。今日は「ひかり」に乗っちょります。食事もせんといかんし、にっこりも書かんといかんので、「ひかり」にしました。1時間15分、たっぷりと時間がありますきに。
食べた駅弁はとんかつ弁当でした。僕は、駅弁で一番好きなのがとんかつ弁当。ご当地ものよりも、とんかつ弁当が好きです。柔らかいとんかつと、冷たくなったご飯が、よく合います。
で、姫路駅。
ウィキによりますれば、現在のような、折詰に入った駅弁は、明治23年に姫路駅で始まったという説がある、とのこと。まあ、色んな説があって、明治19年に名古屋駅で折詰の弁当立売が始まった、という説もあるにかありません。
折詰でなければ、明治18年7月16日に日本鉄道宇都宮駅で、旅館「白木屋」が握り飯2個とたくあんを竹の皮に包んだものを発売したのが最初、という話もウィキにある。嘘か本当か知らんけど。
まあ、美味しいですよね、駅弁。ほかほかで無いのが、良い。と、僕は思う。やはり大切なのは非日常空間だ。
今は、汽車の窓はカッツケで、開かんなっちょります。以前は、ドン行も急行も、窓が開けれるようになっちょった。なので、駅のホームの弁当売りは、弁当を持ってホームを歩く。それを車窓から呼び止め、購入する。それが駅弁でした。
駅弁と、あの、不思議な形状の容器に入ったお茶。それにネットに入ったみかん。夏場は冷凍みかんだ。あの風景がいつしかなくなり、食堂車もなくなり、電車のスピードは速くなる。