栴檀の木、おうちの木〔4961〕2016/11/14
2016年11月14日(月)曇り
雲が多く、暖かい夜明け前。写真は、午前4時半頃の鏡川。天神橋北詰から撮影してみました。橋の袂の栴檀の木に、実がたくさんなっている。このようにたくさんの実をつけるので、千玉と言われ、センダマがセンダンになったという説がネット上に出てまいりますが、ホントのことは知りません。
栴檀は、高知では実によく見かける樹。子供の頃遊んだ、家の前の公園にも大きな栴檀の木がありました。通うた小学校にもありました。僕が在校時に発刊された開校100年の記念誌に寄せられた文章にも、その追手前小学校の栴檀の木の話がでてきたのを覚えちょります。「おうちの木」と呼ばれて親しまれていた、と。
そう。栴檀は、樗(おうち)の木。
5月頃に薄紫の花をつける。高知には、花が真っ白い種類の栴檀もありまして、白花栴檀と呼ばれて大切にされています。浜幸さんのお菓子の名前にもなっちょりますね。白花栴檀。
ここの栴檀は普通の栴檀なので、薄紫の花。
で、薄紫の樗の花は、南方熊楠さんが愛した花として有名なんだそう。南方熊楠さんと言えば、明治から昭和にかけて活躍した博物学者で、いわゆる「知の巨人」。現代にも「知の巨人」と呼ばれるような人物は時々おりますが、この、南方熊楠さんは桁外れ。すごい人物。
イギリス等で活動した後帰国し、紀伊田辺に住んで学問に励む。博物学、本草学、民俗学、背雨物学、宗教学・・・・
いや、すごい。
丁度昨年の今頃、紀伊田辺から山中に入った秋津野と奇絶峡で、南方熊楠さんのことを紹介しちゅうのを見つけ、嬉しくなったことでした。
時間がなくて行けませんでしたが、和歌山県の白浜には、南方熊楠記念館があります。一度は行ってみたい、記念館。
記念館のホームページに、熊楠の長女、文枝さんが書いた文章が掲載されています。熊楠、最晩年の病床での姿を追想して書かれた文章。転載しますと・・・
(以下転載)
……医師が時々打つ注射を嫌い、「こうして目を閉じていると、天井一面に綺麗な紫の花が咲いていて、からだも軽くなり、実にいい気持ちなのに、医師が来て腕がチクリとすると、忽ち折角咲いた花がみんな消え失せてしまう。どうか天井の花を、いつまでも消さないように、医師を呼ばないでおくれ」と言いつけた。父は紫色を好み、庭の草花も紫色が多かった。昭和4年6月1日、御召艦長門において御進講の栄光に浴せし日、あたかも父の門出を祝福するかのごとく、庭の樗の花が薄紫の霞のごとく咲き誇っていた。今幽明の境を彷徨する父の脳裏にあの日の感激と、見事に咲いた樗の花を想い出したのであろうか、父の寝顔は実にやすらかであった。
(以上転載)
そう。熊楠は、紫色を好み、愛した。樗の木の紫を、愛した。
僕にとっての栴檀は、家の前の公園の栴檀であり、小学校の校庭の栴檀。このように実をつけ、味が落ちてくると、季節は冬へと向かう。僕にとって、一番季節を感じさせてくれる樹かも知れません。