やめておこう。夢になるといけね〜〔4937〕2016/10/21
2016年10月21日(金)晴れ
今朝は東京。昨日、業界の寄り合いで、お昼の飛行機でやって来ました。今朝は一便の飛行機で高知へ帰らんといかんかったので、いつもよりも早朝の、ラン。
品川のホテルを出たのは、朝の4時だ。まだ品川の街は、昨日の夜が続いている。第一京浜国道は、時折車が通り過ぎていくくらい。
そんな第一京浜、つまり旧東海道を北上します。
泉岳寺を過ぎ、三田へ。三田の、西郷隆盛と勝海舟が会談したという旧薩摩藩邸の北側路地。その路地を東へ入っていくと、左手に神社。御穂鹿嶋神社という神社。この神社は、文明11年(1479年)創祀の御穂神社と江戸時代初期、寛永年間創祀の鹿嶋神社が平成16年に合祀されたもの。江戸時代の絵図に、海沿いの神社として描かれている。
その神社の北東、JRの線路に沿うように、公園があります。本芝公園というにかあらん。写真は、公園の滑り台の上から撮影しました。左側に東海道線。
その公園の説明板によりますれば。
この公園の場所は、江戸時代、海に面した砂浜。西側を東海道。東海道と海に挟まれた砂浜、という訳だ。で、小魚、穴子などが水揚げされた「雑魚場」でありました。
明治5年、汽笛一声新橋を〜、で、海に構築された堤防の上を鉄道が走り始める。この雑魚場からは、鉄道の下を抜けて江戸湾と繋がっていた、と言います。
その砂浜が「芝浜」。
そう。今日、見てみたかったのは、落語「芝浜」の舞台となった「芝浜」。説明板によりますれば、この公園の場所がまさしく「芝浜」なんだそうです。
そう言えば、さっきの御穂鹿嶋神社の前には、寄席文字で「芝浜噺子の碑」と刻まれた碑がありました。
芝浜。
人情話の傑作と言われておりますよね。江戸時代、初代の三遊亭圓朝が、三題噺の即興で作ったものに始まる、とされます。数々の名人上手が演じてきた「芝浜」。芝浜の風景描写など、かなりの力量がないと表現できない噺、とされますよね。
僕らの世代では、やはり、談志の「芝浜」でしょうか。立川談志師匠の「芝浜」で、落語の世界にのめり込んでしまった、という人も多いと聞くくらい。確かに、談志の表現は、段違いでした。談志だけに。
芝浜を後にして、再び第一京浜。そして、最終目的地はもちろん、築地。朝、5時に到着しました。今日のお目当は吉野家。吉野家発祥の店、築地店。
吉野家の築地1号店は、築地市場の豊洲移転で、なくなることが決定しちょります。で、豊洲移転は11月7日の予定でした。
それが、あんなことやこんなことがあって、いつになることやらわからんなってきちょります。まだ、かなり時間的余裕はありそうだが、まあ、一度は行っちょかんとね。
築地一号店は、「つゆだく」とか「ねぎだく」とか「つゆねぎ」とか、「いつもの」とか、難しい符牒が飛び交う、期待通りの、築地で働くお兄さんたちの店でしたね。
豊洲移転、どんなになるんだろうか。
豊洲の市場内で、場内で働くお兄さんたちに喜ばれるような、うまい、安い、はやい、の飲食店を開いてみようかとも思いましたが、やめておこう。夢になるといけねえ。