南海電車のカンセキ〔4932〕2016/10/16
2016年10月16日(日)良いお天気でんがな
昨日は和歌山県の山中、龍神温泉へ、とある生協さん関係の会合で行っておりました。現在は田辺市になっちょりますが、現地では、今も「龍神村」と、自分たちの住むエリアに愛着と自信を込めて呼んでおります。温泉の泉質はすべすべ。日本三大美人の湯のひとつ、というのがよく解る。
で、龍神村の、様々な村起こしの取り組みを勉強させて頂きました。
開発商品のデザイン、一人の女性がすべて手がけている、とのことでしたが、どれもこれも秀逸なデザインで感心いたしました。
で。
昨夜の料理に、イタドリが出てきたのには驚いた。料理長さんに聞いてみたら、和歌山でも、中央部のその界隈では、よく食べるとのこと。ゴマ油で炒める、という、高知と同じ食べ方でした。
なるほどね〜。
柚子が名産であったり、イタドリを食べたり、と、なにかと高知と共通点が多い、和歌山県の山中。
今朝は、時間がなかったので走れませんでした。で、参加者の方に、龍神温泉から2時間、泉佐野まで車で送ってもらってしまった。紀伊半島は奥が深い、ということを実感させてくれるドライブでございました。いや、ホント。
で、写真は、その泉佐野から乗った南海電車「ラピート」の車内。
久しぶりの「ラピート」だ。
関西空港と高知を結ぶ飛行機が無いなったので、乗る機会がなくなってしまった「ラピート」。この、こうべったデザイン、結構好きです。
南海電車。
南海電車に初めて乗ったのは、中学校2年生の時だったか。
僕の通う中学校は、中高一貫。で、その高校が甲子園に出場しました。ブラスバンドは、中高一緒で、中学生の僕も、その高校の吹奏楽部員としてコンクールとかにも出てました。野球部が甲子園に出たので、僕らも、当然応援に出かけます。当時は瀬戸内海に橋も架かっちょらんので、大阪高知特急フェリーで行きました。懐かしい。
1回戦を無事に勝ち抜く。2回戦は一週間後。
今なら、当然一旦高知へ帰るところですが、当時は往復が大変。お金もかかるので、宿舎であった甲子園近くの幼稚園に一週間泊まり込んで、次の試合を待ちました。寝るのは幼稚園児のお昼寝ふとん。懐かしい。
基本的に自由時間は少ないのですが、一日だけ、完全にフリーな時間を与えられました。僕は、同級生の鉄道マニアと一緒に、高野山のケーブルカーを乗りに行きました。その時、南海電車に乗った訳だ。
学生服に身を包んだ、田舎者丸出しの男子中学生二人。田舎者であることは一目瞭然だったんでしょうな。悲しいことに。
50歳〜60歳の、酔うたようなおっさんが、つり革につかまって立っている僕たちに声をかけてくる。
「君らあ、どっから来たんや?」
「高知県です。」
「大阪なめたらあかんで。わしは関西赤軍、カンセキや。大阪なめたらあかんで。」
そう。生まれて初めての南海電車で、そんな体験をしたことを、今、思い出しました。関西赤軍というのがあったのかどうなのか、あのおっさんは何者だったのかは、謎に包まれたまま。
それにひきかえ、今日の南海電車「ラピートβ」は平和そのものでした。
岸和田、堺、天下茶屋、新今宮というコテコテの大阪を通りながら、大阪コテコテの難波へ。
そうだ。僕は、あの経験以来、南海電車が好きになったんだった。