5時前の高知駅〔4931〕2016/10/15
2016年10月15日(土)秋晴れ
めっきり涼しくなりました。ほんのこないだまで、扇風機かけながら寝ていたのが嘘のよう。いや〜、すごいもんだ。
で、今日は出張で和歌山方面へ向かっております。朝、4:51高知駅発の特急しまんとで坂出へ。坂出でマリンライナーに乗り換えて岡山。
今は、そのマリンライナーの車内で、美しい瀬戸内海を眺めながら書いておるところでございます。
写真は、4:51分に高知駅を発車するしまんとの車窓から撮影した、駅前、電車通りの風景。土電の電車の線路がまっすぐ南へと伸びています。
高知駅が開業したのは大正13年(1924年)。高知駅〜日下駅が開通した時に、できました。意外かもしれませんが、高知では、電車の開業の方が20年も早いんだね。土佐電気鉄道の堀詰〜乗出と梅ノ辻〜桟橋が開業したのは明治37年(1904年)ですきんね。日露戦争の年だ。
汽車よりも電車の方が早かった、高知。
土電の電車が高知駅前まで延伸したのは昭和3年(1928年)。
かつての高知駅前電停は、この写真の左端、歩道橋の左にありました。駅前再開発で、駅舎のすぐ前まで乗り入れてきて便利になっちょります。
しかし、鉄道というのは、社会の風景を一変させます。
日本で最初に鉄道が走ったのはご承知の通り明治5年。1872年。汽笛一声新橋を〜。ちょんまげのお侍が闊歩していた時代から、まだほんの数年で鉄道を走らせた、というのはすごい。
都市と都市の間を、何日もかけて、馬、駕籠、徒歩で結んでいた時代から一気に鉄道の時代へ。これには、明治政府の並々ならぬ意気込み、意図がありました。
明治7年には神戸〜大阪。明治10年には神戸〜京都。明治22年に東海道線全通。
幕藩体制から明治の中央集権体制になる。中央集権体制を維持していくには、どうしても鉄道が必要と考えたのでありましょう。物資や人、軍隊を迅速に運ぶことができる、鉄道。
高知は、明治期にはかなり日本の最先端をいっておりましたので、電車の開業が早かったのは、うなずけます。
しかし、四国山脈を鉄道で越えるのは、かなり難しい。ので、明治大正の時代は、高知港からの船での輸送が中心でございました。モノも、ヒトも。桟橋が整備され、高知の表玄関となった高知港。その高知港へ、モノやヒトを運んだのが、土電の電車であり、安芸線、伊野線でありました。高知の経済発展のために、重要な役割を果たした土電の電車、安芸線、伊野線。
土讃線が徳島、香川方面につながったのは昭和10年か。これで、一気に鉄道輸送が花形に。
戦争が終わり、自動車が輸送手段の中心となって、土電の電車で物資を輸送することも、なくなりました。貨物列車は土讃線を走ることもなくなり、鉄道はヒトを運ぶだけになった。
そんな、歴史。
そうそう。
この写真の、電車通りの向こう。江ノ口川に架かる高知橋には、かつて、アーチ型の大きな広告が道路をまたいでしつらえられちょりましたよね。「土佐鶴」と書かれた、巨大な広告。
国道を広告がまたぐ、といのは法令違反になるとかなんとか言うて撤去されたのは、いつの頃だったでしょうか。
そろそろ汽車は岡山に到着します。早いもんだ。鉄道、好きです。