終戦とお盆〔4870〕2016/08/15
2016年8月15日(月)晴れ!
今朝も朝から良いお天気。
8月15日。昭和20年の今日、あの戦争が終わりました。社会から薄れていく戦争の記憶を、なんとか後世に伝え、過ちを繰り返さない。歴史を勉強するということには、そんな意味も、ある。
ここはいつもの野市、上岡。高知県東部自動車道の工事が始まり、田んぼの中で道路工事が始まっております。そのど真ん中に、あの戦争の痕跡があることは、幾度かご紹介してきました。太平洋戦争末期、米軍、グラマンの爆撃で破壊された、上岡八幡宮さんの鳥居。今は両方の足の部分だけが立ち、他の残骸が足元の頃がされています。戦争の記憶を忘れないために、わざわざ、その状態で放置してある、との話を聞いたことがあります。
その戦争遺跡と言うても良い鳥居痕跡は、東部自動車道ルートの真ん中に位置する。と、言うことで、工事に伴って撤去されるのかと思いきや。いつまでたっても撤去されない。そのうちに、周辺の工事は進む。今年5月30日のにっこりでも期待して想像したように、その鳥居部分は残して工事を進めるがにかありません。今も、この写真のように、そのままの姿で屹立しています。たぶん、道路の下に、残すのでありましょう。素晴らしい英断。地域の皆様の努力に、頭な下がります。
8月15日は、終戦の日であると同時に、お盆。
日本古来の祖霊信仰に仏教が融合したもの、と説明されます。お盆。毎年、8月15日を中心におこなわれる、お盆。
明治になる前は、太陰暦の7月15日を中心にして行われておりました。しかし、明治になって太陽暦が採用される。その際に、新暦の太陽暦でも7月15日をお盆にしたそうだ。
ところが、新暦の7月半ばは、田植えなどなど、お百姓さんの仕事が忙しい。お盆どころではないではないか。と、言うことで、旧暦の7月15日でお盆をするところが増えた。今でも旧盆でやる地域、ありますよね。
その後、旧暦でやると毎年日が変わって不便だ、ということになり、7月15日から一ヶ月遅らし、農閑期にして夏休みの8月15日に固定する地域が増えてきた、とのこと。
そして昭和20年8月15日。
それまで旧暦でお盆をやっていた地域も、8月15日が終戦の日となったことで、戦没者慰霊の意味も持たせて新暦8月15日に行うようになってきた、という歴史があります。
お盆と終戦記念日。やはり、関係がある。
お盆と言えば、五木の子守唄を思い出します。
悲しい子守唄。
調べてみますれば、子守唄には、子供を寝かしつける「子守唄」と、子守の仕事をする少女が自分の辛い境遇を唱にして歌った「守り子唄」があるとか。で、五木の子守唄は、典型的な「守り子唄」。
熊本県五木村のホームページでは、その唄の由来や歌詞、歌詞の意味を説明してくれちょります。
お盆になれば子守奉公の年季が明けて、家に戻れる。はやくお盆がきてくれたら、はやく戻れる。それが1番の歌詞。2番からの歌詞は、更に、悲しい。
よく人口に膾炙するのは、この1番の歌詞と、
おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん
の、歌詞。
これはお座敷唄として、戦後にレコーディングされて流行ったものだそうです。
「かんじん」は、勧進で、小作人。この唄では貧しい境遇の人を言い、「よか衆」は地主層、裕福な人々を指す。私は貧しいが、地主さんたちが良い帯で良い着物を着ている。そんな意味。
ともあれ、お盆にして終戦記念日の今日も、朝から夏の日差しがギラギラと照りつけています。