上岡八幡宮拝殿、耐震補強工事と新しい階段完成〔4871〕2016/08/16
2016年8月16日(火)晴れ!
昨日の夕刻。降りましたね。結構ガイに。これっぱあ暑かったら、夕立も降るでしょう。熱帯のスコールみたいでしたが。
こないだ7月25日のにっこりで、いつもの上岡八幡宮さん拝殿で工事が始まっちゅうのをご紹介しました。で、8月8日には、進捗する工事の様子も。
完成しました。昨日の朝、お参りに行ってみると、完成しちょりました。こんな感じ。重厚な入母屋造りの屋根、象鼻、古い柱や扉などは以前のまま。
違うのは、柱の後ろに目立たないように建てられた補強の柱や、壁、そして、階段。
外観は可能な限り変えないよう、しかし地震の揺れには耐えられるよう、という工夫が見て取れます。
しかし、階段だけはまっさらになった。白木の真新しい階段。
8月8日のにっこりでは、この拝殿の建設年を、文化14年(1817年)ではないか、と妄想しています。そうだとすれば、来年で200年。素晴らしい建築でございます。
今次取り替えられた階段も、200年の歳月、多くの善男善女に踏まれ続けてきた階段だったのか。違うかも知れませんが。
この真新しい階段の2段目の上。「土足禁止」という貼り紙。確か、昨日の朝はなかったと記憶するので、昨日のうちにどなたかが貼り付けたのでありましょう。つまり、昨日、誰かがこの真新しい階段に靴跡をつけていたのかも知れない。
そう言えば、最近、賽銭泥棒が県下で出没している、という話題が、少し前の高知新聞に載っちょりました。四国八十八ヶ所霊場の賽銭箱から、かなりの金額のお賽銭が盗難にあっている、という内容。
そう言えば、最近。7月17日のにっこりで、五台山北麓の星神社さんにお参りしておったら、祭りの準備をされているおんちゃんに、賽銭は山の下の賽銭箱へ投げるようにしちょいてよ、と言われました。そちらは鍵がかかると。山の拝殿前の賽銭箱は、盗難に遭うにかありません。
ここ、上岡八幡宮さんも、拝殿前はひと気の無い、静かな山懐。そろそろ、鍵がかかる賽銭箱が必要なのかも知れませんな。
土足禁止。
日本では、いつ頃から家の中は土足禁止になったんだろうか。弥生時代の竪穴式住居は、間違いなく土足入室可。
僕の記憶では、645年に大化の改新、最近では乙巳の変と呼ぶクーデターの状況を描いた絵巻で、蘇我入鹿の首が飛んでいる絵がありましたが、あの場面は、床の上に畳みたいなのがあり、裸足であったような気がする。
大和朝廷の頃から、日本は、土禁であったのかな。でも、日本に建築様式などを伝えた中国では、基本、土足ですよね。そんなイメージが、ある。
日本は高温多湿。なので、清潔に対する意識が自然に高くなり、しょっちゅう風呂に入るし、裸足で過ごすことも多くなった。そして、床の上は土禁になった。てな話もある。
日本人は床の上の畳の上に寝るので、そこに靴を履いて上がるのはね、ちょっとね、となったという説もありました。地面にベッドを置いて寝るのであれば、靴を脱ぐ必要がない。
欧米人も、さすがに、ベッドで寝る際には靴を脱いでいたと思うでしょ?
ところが、こないだから読みゆう「鉄道の歴史」には、興味深いことが書いてありました。18世紀後半から19世紀にかけて、豪華な寝台列車というものができてきて、人気を博しました。で、当初は、その寝台列車のベッドに靴を履いたまま寝る人が多く、シーツが汚れて仕方ないので、靴を脱いで寝るよう、告知を徹底した、という話。
欧米では、靴を履いたままベッドで寝る、ということも普通に行われていたにかあらん。ホントかね。
日本の竪穴式住居。調べてみると、地方によっては、室町時代まで竪穴式住居が建てられ、利用されていたと言います。そこでは、やっぱし土足やったんでしょうね。
日本でも、以前の家には土間があって、家事やら作業やらはそこで土足で行い、靴を脱いで家に上がって食事をしたり、寝たり、でした。
どんどんと欧米の文化や生活様式が入ってきて、住居の形や有り様が変化しても、靴を脱いで建物に上がる、という基本コンセプトは変わることは、ない。これからも、ないと思います。なので、この真新しい階段は、これからもずうっと、土足禁止です。