秦泉寺の風景(妄想)〔4869〕2016/08/14
2016年8月14日(日)晴れ!
昨夜、突然の、しかしアッと言う間の雨が降りました。かなりピンポイントの雨やったので、降ってないところも多いかも知れません。夕立のような雨。いや、夕立か。普通の。あまりに久々で、夕立というものを忘れちょりました。
昨夜は秦泉寺泊。なので、5時に起き出して北山を走ってきました。早朝の時間帯。日中に比べたら随分と、涼しい。まあ、坂道を駆け上がると一瞬で汗ビショにはなりますが。
まずは、秦山の東側から金谷川沿いの道。かつて、たくさんの水車があった谷なので、車谷と呼ばれておった谷沿いの道は、北山中腹に開ける古い集落、三谷へつながる道。三谷往還。
その道沿いには、西国三十三観音霊場の石仏が鎮座ましましております。
しかし。
その風情のある谷沿いの山道は、一昨年夏の大雨で数カ所が崩落し、通行止めになってしまいました。何度か、通行止めになっちゅう道をたつくってみたのは、このにっこり読者の方ならご存知のことと思います。
昨年末には、その土砂崩落で流され、谷に放置されたままの十二番石仏をご紹介しました。
今朝行ってみても、やはり通行止めのまんま。人も通らない山道は鬱蒼として、この季節に半ズボンでたつくるのはね。ちょっとね。
そんな訳で、五番石仏と六番石仏の間の鎌研橋のところから神谷往還をはずれ、急坂を駆け上って、車道へ。現在、三谷へは、その車道がメインルートになっちょります。旧往還は、通れなくても不都合はない、ということでしょうか、大雨から二年経過した今も、通行止めのまま、放置されております。
しかし、地元にとっては大切な歩き道で、西国三十三観音霊場も、ある。はやく、なんとかしてもらいたいと思います。
で、車道まで駆け上がり、車道を走って三谷。
折り返し、車道を帰ってきました。
写真は、その車道の途中から眺めた北秦泉寺。集落の向こうが秦山。とっと向こうに南嶺も見えます。
この北秦泉寺の集落は、標高12mちょっと。山に囲まれた扇状地。ここから左は中秦泉寺で、その標高8mくらいのところに、こないだ発掘現場をご紹介した秦泉寺廃寺跡。
その南は、古浦戸湾が入りこんで入江になっていました。
入江近くの、山に囲まれた扇状地。7世紀頃、かなりの集落があったと思われます。土佐でも有数の街が形成されちょったのかも知れません。
それは、この地形を鳥瞰すると、なんとなく理解できます。
想像を膨らませ、かつて海であった部分は「海」である、と思い込む。すると、そこに、古代の風景が浮かんでくるではありませんか。浮かんで、きませんか?
そして、ここに住んだ人々が、稲作をし、船で遠くと行き来し、山や川の幸を獲りに北山をたつくっていた、そんな風景を想像する。
この目の前の住宅地は、農地と、秦泉寺関連の施設や住居が点在していたのか。
秦山は、燃料や肥料の山として利用され、今の高見山みたいな外観であった可能性が高い。
山をたつくると、こんな妄想が膨らんで飽きることがありません。暑い暑い夏の、朝。