鉄道の歴史、果たしていく役割〔4868〕2016/08/13
2016年8月13日(土)晴れ!
いや、暑い。ものすごく。
今日は高知県東部、田野町へ行っちょりました。炎天下の山で作業すること1時間半。頭クラクラで、死ぬかと思いました。それにしても、暑い。
こないだ、「鉄道の歴史」という本のことを書きました。あのときは、まだ、読み始めたばかりでしたが、読み進むと、鉄道が社会を創り、変革していった経緯がよくわかる。鉄道網は、本当にアッと言う間に劇的に広がっていったんですな。それは、19世紀から20世紀にかけて。凄まじい勢いで。
インドは鉄道が縦横に走って充実している、とか、南アフリカから東アフリカの鉄道は充実している、とかの情報は、現在インドからアフリカを放浪中のJr.1号のブログで知っちょりましたが、それは、そこを植民地にしていた英国の、野望を持った英国人たちによってものすごい勢いで建設された結果であることが、よく解りました。
フロリダ。何もない辺境の土地であったのを、ジョン・D・ロックフェラーのパートナーだったヘンリー・フラグラーという人物が、ロックフェラーから離れて、とんでもない熱意でつくった鉄道によってつくりあげたのが、今のフロリダ。その繁栄の礎を築いたのは、フラグラーがつくった鉄道である。マイアミは、それまで何もない、蛇やワニの居る湿地帯であった、とか。
で、その鉄道建設には、とんでもない労力が必要でありました。
現在では考えられない、犠牲者の数。何万人の犠牲を出した、てな鉄道は、世界中にあります。最初っから、犠牲者は出るものという前提で工事を始めておりますきんね。
アメリカ横断鉄道などには、入植してきた中郷人などが動員され、シベリア鉄道では囚人が工事に動員された。
そう言えば、その本には書いてないが、日本でも、北海道開拓の際の鉄道工事でも囚人が動員され、とんでもない犠牲を出した、という話もあります。犠牲を前提にした、過酷な工事だ。
近年は、当然ですが、犠牲者は出ないことを前提に工事する。
鉄道工事で思い出すのが、この線路。土佐くろしお鉄道ごめんなはり線。元々は国鉄の「四国循環鉄道構想」で、安芸と田野の間が着工されたのが、なんと昭和40年。僕が4歳。ここは安芸と田野の間なので、その頃から着工されていたのかも、知れません。
その後、昭和49年のからは後免と安芸の間も着工され、あちこちに高架ができる。
しかし、国鉄が行き詰まり、工事はストップ。昭和56年。
長い間、放置されていた高架部分は、どうなることかと思っておりました。
第三セクターの土佐くろしお鉄道がその工事を引き継ぎ、再開されたのが昭和63年。で、開通したのが平成14年。工事再開から完成まで、14年もかかっちゅうのはどうしてでしょうね。
最初の着工時、僕は4歳で、開通時は41歳。なんという工事。
これは、途中に難工事区間があったとか、そんな理由はまったくなくて、単に経済的要因。鉄道は、急激に進んだ自動車社会に取り残され、経済的に成り立たなく立ってきた、そんな歴史。
これから、人口減少、高齢化という社会が進む中で、どんな交通手段が必要である、必要でなくなるか。これを見通す力、知恵が、なんと言うたち必要でしょうね。
高齢化社会では、ある程度、公共交通の充実が必要。それも、柔軟に対応できるもの。中央集権人口増加社会の中で鉄道のような公共インフラが重要になり、道路網の充実と自動車社会の発達で、個々が重要視され、世の中は個の社会へと邁進してきた。
再び、コミュニティ、集落、といった場と公共な交通インフラが重要視される時代がやってきた、と、そんな感じがする今日この頃です。