クマゼミの森、ワシャワシャ〔4838〕2016/07/14
2016年7月14日(木)晴れ!
夏晴れ。
もうこれで梅雨明けか?と思うて天気図の予報を見てみたら、梅雨前線は、また一度南下するにかありません。なるほど。梅雨明けは、まだか。
まあ、お天気で暑いならば、別に言うことはありません。
ワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャワシャ
この季節の朝の主役は、紛れもなくクマゼミ。何度かこのにっこりでも取り上げてきましたが、高知では、我々が子供の頃よりも、クマゼミの存在感が増しているような気がする。しますよね?
確かに、昔は、もっとアブラゼミの方を良く見かけたし、捕まえた。なんか最近、アブラセミの存在感、薄うなりました。
さて。
どこへ行ってもワシャワシャワシャワシャ。街中でも、森でも。
写真は、いつもの野市、上岡八幡宮さんの森。参道入り口に屹立する巨大なクロガネモチの樹は、この鎮守の森でも、一際、クマゼミが好む樹。
セミを見ていて、いつも思うのが、生きるとはどういうことか、という哲学的問題ですよね。思いませんか?
クマゼミの場合、幼虫として、約5年間地中で過ごし、地上に出てきて成虫になり、約2週間で、死ぬ。
人間の尺度で考えると、地面の下で長い長い時間我慢して、やっと地上に出てきたと思うたら、あっという間に人生を終える、というのが、なんか哀しい。このひとときのワシャワシャは、限られた時間を精一杯謳歌している、という風に、見える。
どうなんでしょうかね。
限られた時間、というのは、正しい。
限られた時間で、とにかく、子孫を残す為の繁殖活動をしている、というのが、正確かも知れない。セミがその一生の終わりに地上に出てきて、賑やかに賑やかに生を終えるのは、第一義的に、繁殖の為である、と考えるのが、まあ、常識的でしょう。
つまり、その長い長い地中生活は、彼ら彼女らにとって、別に辛いものでも苦しいものでもない、当たり前の生活である、と。それこそが、彼ら彼女らの、人生ならぬ蝉生。生きるということそのもの。そして、最期を迎えるに当たり、子孫を残す為に、地上に出てきて繁殖をする。
生物学に詳しい訳ではないのでよくわかりませんが、生物の行動は、何よりも、DNAを残すことが生存目的になっている、という話を聞いたことがあります。アリや蜂の不思議な生態などは、DNAで考えると説明がつく、という話。
であるならば、上に書いた、「子孫を残す為に繁殖する」は、正確に書けば「DNAを伝える為に繁殖する」と、なる。
そこで思ったのが、F1。車のレースではないです。一代交配種のことを言う、F1。エフワン。1代交配種は、違う固定種の個体を交配させてつくられた雑種だ。
園芸作物などの場合、多くは、このF1。種を採取することがなく、毎年毎年種屋さんから種を仕入れる必要が、ある。しかし生産効率が良く、価値の高い作物ができるので、これが一般的になっているのが、現代。
動物の場合でも、肉用牛を乳用牛に掛け合わせ、肉用として育てて売るF1が、今は人気になっています。値段がするので。
植物でも動物でも、F1は、子孫を残すことを目的としていない。できんことは、ないみたいだが。
しかし、上記の生物の本能、つまり、すべてはDNAを後世に伝えていく目的で成り立っている、という観点から見たら、摂理に反しているような気もしますね。まあ、遺伝子組換えなんぞが行われている昨今、こういった「生きる」とはどういうことか、などということは、あまり考えないのでありましょうが。
ともあれ、クマゼミ。
今朝も、自分のDNAを残す為、朝から激しくワシャワシャワシャワシャ。うまく相手が見つかり、繁殖できたら良いですね。
雨が降ったら鳴かなくなるクマゼミなので、今年は、雨に邪魔されることも少なく、順調に繁殖していると思われる。善き哉善き哉。