国鉄物資部がありました〔4837〕2016/07/13
2016年7月13日(水)小雨
いよいよ梅雨明け前の雨でしょうか。これで梅雨前線は北へ上がっていってくれるんでしょうか。昨夜も蒸せました。今日は、気温はそれほどでもないにしても、湿度が高いので蒸せます。ああ。善き哉善き哉。
今日は、お昼過ぎの汽車に乗って大阪へと向かいよります。お仕事。夜中には帰ってきますが。
写真は、高知駅の1番ホーム停車中の特急南風車内から撮影した駅前風景。
8年前に現在の駅舎になった訳だが、既に、以前の風景は記憶の中でどんどんと薄くなってゆく。駅前、どんな風景でしたっけ?てな感じ。いや、まっこと。
こないだも書きましたが、旧駅舎は、その、電車の停留所の界隈にありました。駅前広場は、その北側。その東の、現在タクシーの待合場所になっているエリアは、JR関係、古くは国鉄関係の古い建物が並んじょりましたよね。
地理院地図の、1974年〜1978年の空中写真で確認してみました。こんな感じ。
高知駅の敷地は、うんとうんと広かったような記憶がありますが、実際、地理院地図で現在の航空写真と見比べてみますれば、そうでもない。
以前の、線路の北限は、現在の高架線路の北限と、同じくらい。もっと北まで線路であったような記憶は、間違い。
線路の南限が、今の土電の停留所北端くらい。そんなもんだ。
この写真の左端にはホームセンター「コーナン」さんが見えております。あの敷地にも、以前は、国鉄関連の建物が並んでました。
その建物群の中にあったのが「国鉄物資部」。
僕がひまわり乳業に入社して数年後。工場勤務から営業に変わり、直売担当として仕事をしていた頃。その「国鉄物資部」は、通常の配送コースに乗らない、ということで、営業の、我々直売担当が、毎朝配達しておったんですね。いや、懐かしい。
国鉄物資部。
国鉄の職員さんの共済組合が運営する売店。食料品からなにから、色々と置いてあった、小さな売店。で、安い。色んな経緯があったんでしょうね。その、お店の大きさに比して、なんでもかんでもとにかく安かった記憶があります。
調べてみますれば、正式名称は「日本国有鉄道共済組合物資部」。通称「国鉄物資部」。
で、「国鉄の拠点駅や乗務員・車両基地の構内、職員アパートなどで職員向けの小売店を運営した」とあります。とにかく、安かった「国鉄物資部」。
国鉄がJRになった時に、無くなったんでしょうかね。
その共済団体はJRに引き継がれるも、今は年金事業だけになっちゅうそうです。
ウィキの、共済組合物資部の項目を見ておりましたら、その下に、国鉄在職歴がある著名人、というのがありました。
へ〜。
藤井フミヤくん、そうなんだ。ストロング金剛もね。
佐藤栄作は戦前からの鉄道官僚ですきんね。
その佐藤栄作が大阪鉄道局長だった頃、旧制園部中学校を卒業して大阪鉄道局の職員に採用されたのが野中広務さん。そんな偶然の知遇を得るなかで、志をたて、政治家になっていった野中広務さん。この人物、ちょっとすごいですね。経歴もすごいが、やはり色んな意味で矜持を持った政治家と言えましょう。
こういう気骨、矜持がない政治家が昨今多すぎると思いませんか?
皆、目先の、自分のことばっかしで。
話が逸れてしまいました。
現在からは想像もできない、国鉄物資部があった、あの風景。現在の衛星写真とその頃の空中写真を見比べると、実に面白い。