新橋から品川、柘榴坂まで走った理由〔4742〕2016/04/09
2016年4月9日(土)晴れ
良いお天気の東京。
五反田界隈に泊まっちょりました。今朝。5時半に起きだして山手線沿いに品川、そして国道15号線を走って新橋、最終目的地は、築地。
途中、まだ人通りもほとんどない、東京の静かな道路を走っておりますと、向こうからウォーキングしてきたおんちゃんが、にこやかに笑いかけてくるではありませんか。よく見てみると。高知の、塗料屋さん、H先輩ではないか。こんなところで。いや、驚きました。日本は狭い狭い。
静かな東京の道路に「頑張っちゅうねえ」「頑張っちょりますね〜」と濃厚な土佐弁が響き渡る不思議さよ。
さて。
写真は、品川駅、高輪口を出て道路を渡ったところにある坂道。この西は高台になっちょりまして、御殿山とか、白金台とか。昔は大名屋敷とかがあったエリアで、今もかなり高級な街になっちゅう、洪積台地の上。
その台地の上と、旧東海道がある低地の間をつなぐ坂道。たくさんの坂道があり、その坂には、いろんな名前が付けられている。この坂道は、柘榴坂。ざくろ坂。
藩政期は、カギ型に折れ曲がった坂道であったそうだが、今はこのように直線に付け替えられた「新坂」。
で、浅田次郎さん原作で、一昨年映画化もされた「柘榴坂の仇討」。
一昨年、品川に泊まっちょった際、その映画のポスターがたくさん貼られちょったことを思い出します。
その映画は、なかなかの時代劇でした。桜田門外の変で井伊直弼を警護した役回りの侍が、主君を守れなかったことを咎められ、謗られ、両親は責任を取って自害。本人は自害を許されず、逃げた水戸藩士のうちの生き残った者に仇討することを申し付けられるが、そのうちに明治維新。
世の中が変わっても、侍のまま、仇討を使命とする人生を送る。中井貴一さんが演じる侍。
で、ただ一人残っていた襲撃に参加した水戸藩士が見つかった。その元藩士も、両親は自害し、自分は人力車の車夫となって生きている。しかし、やはり桜田門外の変を背負い続ける人生。阿部寛演じる元水戸藩士の人力車夫。
で、その最終盤。
新橋駅で客待ちをする人力車夫に、中井貴一が声をかけ、阿部寛が引っ張る人力車に乗る。
で、雪の柘榴坂までやってきて、クライマックス。
新橋から柘榴坂まで。これは、結構、遠い。しかも雪の中。桜田門は、新橋から近いのに、わざわざ何故に柘榴坂まで行ったのか。
これが気になって気になって。
その答えを見つける為に、今朝は、逆コースではあるが、柘榴坂から新橋まで走ってみました。その距離は4km。当時の新橋駅は、元の汐留駅なので、旧東海道の通り道だ。なので、まさしく一本道。
原作は浅田次郎ですきんね。その場所設定をいい加減にやる筈が、ない。
まず、決闘するような場所、人目につかない場所は、明治になったばかりの東京には、たくさん、ある。彼らは、間違いなく、新橋から旧東海道を下って、この場所へ来た。一本道。
途中、西側には増上寺界隈の高台や森、白金台などの旧大名屋敷跡地。決闘するにはこと欠かない場所がたくさん、あった。
雪の中の人力車で、東海道を4km走る。おそらく、所要時間は1時間近く。
必要であったのは、その1時間足らずの時間だったのではないか。
その間、少しの会話でお互いの身の上、心情を知り、沈黙の中で考える。雪が音を吸収し、静かな静かな東海道をまっすぐ走りながら。
そして、心持ちが理解し合えたところで、柘榴坂。
そんな妄想を暴走させながら、人力車が走った4kmを逆走してみました。
この物語は架空の人物の架空の話なので、事実はどこにもなく、浅田次郎さんの頭の中で構築された人間模様。
柘榴坂という名前に惹かれたこともあったでしょう。しかし、僕は、新橋から東海道をまっすぐに下る1時間足らずが、どうしても必要であったのではないか、と感じました。