お墓とは〔4741〕2016/04/08
2016年4月8日(金)晴れ!
春晴れ。良いお天気。気温も上がりそうな春の金曜日、朝の一便に乗って東京へ。
写真は、飛行機から見た弊社界隈。田んぼに張られた水が、春の香長平野を彩る風景。
写真中央少し右。南国バイパスの橋と、土佐くろしお鉄道の橋の間。物部川右岸に見える青い
屋根が弊社。バイパスの橋の向こう側には、上岡八幡宮さんの山、上岡山。
弊社界隈もそうですが、あの上岡の集落は特に、屋敷墓が多いですね。以前も書いたことあるかも知れません。家の敷地内に、墓所。そうすることで、いつでもご先祖様を崇敬し、思い出すことができるという訳だ。
家というものが土地に固定し、その家系は長い長い間、その土地と家とともにあったから。だから、家に、先祖代々の墓所があっても良かった。
現代のように、家系と家と土地が必ずしも永続的つながりにない、そんな時代になると、屋敷墓というのは、非常に珍しくなる。
そもそも、現代では、「墓地・埋葬等に関する法律」に、「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」と定められちゅう。で、新たに、家に隣接したり家の敷地内にお墓を作ろうと申請しても、そこが「墓地」と認められることは、ない。なので、霊園として開発されたような墓地か、古くからの墓地、お寺の境内、などにお墓は限定されることになります。
高知市近郊の里山には、古い古いお墓がたくさんある、ということを何度か書いたことがあります。筆山はもとより、秦山、小高坂山など。
江戸時代、墓地は、お寺の境内か、家から比較的近い山中に積極的に作られた訳だ。ほとんどが土葬墓。
現代。土葬は、法律で禁じられちゅう訳ではないが、都道府県の条例で、ほとんどの場合禁止されちょります。日本の火葬率は、99%以上。
土葬の場合。以前にも書いたように、日本の土壌はほとんどが酸性土壌。なので、比較的短い時間で、土に戻ってしまう、日本の土葬墓。
その埋葬文化は、集落のコミュニティとかと非常に密接な関係がある。墓地も埋葬も、集落で、共同で営まれてきたりしたのが、日本ですよね。
それは、室町時代頃からのことにかありません。そもそも、庶民も遺体を埋葬する習慣が広がったのが、室町時代。コミュニティが確立し、共同で、様々な共同体運営をやっていくようになっていった、そんな時期だそうです。
では、それ以前は。
鎌倉時代など、庶民はどうしていたのか。鳥辺野(とりべの)とかに遺体を置き、遺棄葬を行っていた、という話もある。これは、葬送や埋葬が血縁者内で行われていた、という事情もある。
現代。
もちろん土葬はせんなりました。墓地は、開発された霊園とか、近所の山とか、お寺さんとか。
葬送儀礼とか埋葬とかの文化が、急激に変化してきている現代。
長い長い年月残る、大きな石に刻み込まれた墓石。家族の単位は小さくなり、分散していく中で、山中に取り残されて放置され、無縁墓になったものも増えている。
これから、どんどんと、お墓のあり方も変わっていくがでしょうね。そうでないと、日本はお墓だらけになってしまう。納骨堂形式がこんなにも増えたのは、比較的新しい時代のこと。
筆山などの山中をたつくると、無縁墓の墓石や墓石の痕跡がゴロゴロしている。そんな風景を見るにつけ、これからの日本のお墓のあり方、気になって気になって。
朝っぱらからこんな話で、申し訳ございません。