土佐街道と高知屋と純信お馬〔4740〕2016/04/07
2016年4月7日(木)雨
今朝は香川。昨日の午後から、弊社西日本事業部の打ち合わせやら飲み会やらで、来ちょります。泊まっちょったのは、丸亀市。ですが、善通寺市との境目にあるホテル。
で、今朝は5時半に起きだして、雨の中、金毘羅さんまで走りに行っちょりました。雨中16kmラン。ああ。心地良かった〜
やっぱし、私は、雨の中を走るのが、好き。火照る体を雨が冷やす。マイナスイオンの中を走る快感は、好きな人にしかわからんでしょうね。一度、騙されたと思うてやってみてください。騙されるかも知れませんが。
ともあれ、金毘羅さん。こんぴらさん。讃岐の金毘羅さんは、江戸時代、金毘羅大権現として全国から絶大な尊崇を集めました。金比羅参りは、お伊勢参りに並ぶ大人気イベントであったと言います。
今でこそ、どっからどう見ても神社ですが、元々はお寺さん。象頭山松尾寺金光院というのが正式名称やったそうで、神仏習合で、象頭山金毘羅大権現。
日本各所の信仰は、明治になるまでは神仏習合だらけ。それを、維新政府が無理無理神仏を分離。その際にうまく立ち回らなかったら、今の金比羅さんの隆盛もなかったかも知れない。
海上安全の神様として有名なんですが、それだけではなく、全国に金比羅参りの講中があって、今は観光地。高知の南国市十市にも琴平神社があって、こんぴらさんと呼ばれ、親しまれております。あの山は桜の名所。丁度今時分、綺麗に咲き乱れちゅうでしょうね〜。あの十市のこんぴらさんも、海上安全の神様。県下一円から、漁業関係者がお参りに来ます。
さて。讃岐のこんぴらさん。参道には、お土産屋さんなどがひしめきます。讃岐うどんブームからこっち、うどん屋さんも増えました。早朝の参道には人気もなく、静かな静かな石段が伸びてゆく。
本宮までの石段は785段。その100段目くらいのところに、一ノ坂鳥居という鳥居がある。そこから石段が急になり、その石段を上がりきったところが大門。
その一ノ坂鳥居の場所は、実は、交通結節点。そこは、伊予・土佐街道が通っておりました。なので、そのしゅっと上に、土佐からの旅人や参拝客が利用したりしよった「高知屋」という旅館があったと言います。いや、キチンと調べた訳ではないので、間違うちょったらゴメンナサイ。
安政2年。1855年。安政南海地震の半年後。ペリーが浦賀にやってきてから2年。にわかに風雲急を告げてきた幕末、自然災害も重なって、騒然としてきた時代。
高知の城下で、五台山のエリート僧と、鋳掛屋の娘、お馬さんの大スキャンダル事件が発生したのは、ご承知の通り。このにっこりでも、その経緯を何度も幾度も書いてきたので、もう、にっこり読者の方は詳しくご存知のことと思います。
で、密かな恋愛が遂に発覚し、二人は五台山から駆け落ち。土佐からは笹越えルート。標高1293mの矢筈峠を越えて阿波へ。そして猪ノ鼻峠を越えて、讃岐へ。
夜を徹して歩いたと思われます。そして、街道を通り、やって来たのがこんぴらさん。高知の皆さんが利用する「高知屋」にたどり着いた時には、ホッとしたでしょうね〜。
ところが、なんと、そこには土佐藩からの手配が回っていて、捕まってしまいました。
で、高知城下へ連れ戻されて、番所で面晒しされてから追放刑になった、てな話は、それこそご承知の通り。
しかしあれですね。讃岐へ逃げた二人は、そこまで、藩の役人が手をまわしちょったとは、夢にも思うちょらんかったのかもしれない。まるで重大事件の極悪犯ではないか。二人にとってみれば、誰に迷惑をかけた訳でもない、プライベートなこと。格式のあるお寺さんとしては面子があったのかも知れないが、そこまでするか?という捕物でございますよね。冷静に考えたら。
で、殺伐とした世相の中で、庶民が、その、シリアスではないスキャンダルに飛びつき、あっという間によさこい節に乗って全国へと広まった事件。殺伐とした事件ばかりで、そんな事件に飢えていたのかもしれない。
せっかく苦労の果てにここまで逃げてきて、旅館でくつろごうと思うた矢先に捕縛。
なんか、可哀想だね。
まあ、そのお陰で、よさこい節は全国区になり、はりまや橋は観光地となり、よさこい祭りは日本中へ、世界へも広がった。全ては、ここでの捕物から始まった。
写真が、一ノ坂鳥居。一礼する私の向こう側に、高知屋があったと言います。いや、その辺にあったにかありません。間違うちょったらゴメンナサイ。
で、こっから左手へとつながる道があって、伊予・土佐街道。
その駆け落ちルート、一度、たつくってみたい。純信とお馬の気持ちになって。