人類は進歩したのか〔4720〕2016/03/18
2016年3月18日(金)晴れてまんがな
そんな訳で今朝は大阪。昨夜は新大阪の駅前に泊まっちょりました。ので、今朝は4時過ぎに起床、この写真の場所まで走ってみました。そう。万博記念公園ラン11km。
新大阪駅から東海道線沿いに北上。朝4時代の東海道線というのは、なかなか賑やかなんですね、貨物列車の往来で。沿線の皆さん、なかなか大変だ。
で、吹田駅を過ぎ、岸辺駅を過ぎたあたりで左折、万博記念公園のある丘陵の方へと駆け上がってゆきます。あの丘陵は洪積台地かと思うちょったら、違うんですね。地理院地図の土地条件図で、土地の成り立ちがわかります。
実際、自分の足で走ってみると、千里界隈は、実に起伏に富んだ丘陵地隊であることが体感できます。これは楽しい。
岸辺から丘陵を駆け上がり、一山超えると眼前に現れるのが、最近できた巨大な商業施設ららぽーと。その脇を抜けると、突然、眼下にかつての万博会場が広がるのであります。正面には太陽の塔。ああ。万博だ。
1970年。せんきゅーひゃく なっなじゅ〜ねんの こ〜んにーちーわ〜。
僕は小学校3年生でした。万博のテーマは「人類の進歩と調和」。我々より上の世代は、絶対に知っている「人類の進歩と調和」。アポロが月へ人類を運び、科学技術の力で地球の将来にはバラ色の未来が開けていると信じて疑わなかった時代。日本は活気に満ち、今思い返しても、精神的に幸せな時代であったと言える。公害など、社会のひずみが徐々に現れ始めてはいたが、人間の力を誰もが信じていた、あの時代。
そんな時代に、「人類は進歩なんかしてない」「縄文時代を見ろ」と、万博に対してアンチテーゼを突きつけたのが、岡本太郎であり、太陽の塔であった、という話があります。真相は知りませんが・・
万博に浮かれ、人間の力を過信し、バラ色の未来を描く日本人たち。小学校3年生の僕を含め、圧倒的多数の日本人たち。そして、岡本太郎はテーマプロデューサーに指名され、テーマを解説する展示製作を依頼される。
そこでつくったのが、この、太陽の塔。
不思議なオブジェですよね〜。この太陽の塔を見て、何を思うのかは、人それぞれ。しかしなんという存在感。今もそこに残されているのは、撤去されることを拒む大きな力が働いているとしか思えない。
あの、ものすごい人出で混雑した万博会場。あまりの人の多さにくたびれてしまい、とんでもなくマイナーな、全然人が並んでないパビリオンを2つくらい見て、ソ連館に併設されたモスクワレストランでオムレツを食べたくらい。アメリカ館の月の石も、日本館も、巨大なジェットコースターも、遠くから眺めただけでした。そうそう、動く歩道はよく覚えちょります。
あの広大な万博会場、その後、ニュータウンにするとか、色んな計画があったにかありませんが、このように公園として残されました。良かった良かった。
当時のいけいけどんどんの人間にとっては、一番知恵の無い使い方に思えたでしょうね、間違いなく。しかし、今となっては、英断であったと言えましょう。夥しい宅地と商業施設に囲まれた、広大な森。
この公園内には、今も、そこにアメリカ館があったという表示板があったりするそうだ。一度、営業時間内に行ってみんといけません。
万博。
日本という国家が世界の先進国の仲間入りをした、という誇りと希望に満ちた、国を挙げてのイベントでした。その日本は、その後、変遷を経て現在を迎えている。あれから人類は進歩し、調和したのか。今も一人で屹立する太陽の塔は、そんな問いかけを、我々に投げかけているように見えてならない。
岡本太郎は、日本人が縄文時代から現代まで紡いできた本質は何も変わっていない、進歩してない、進歩する必要もない、大切なことは他にある、ということを知っていた。
東京オリンピックに浮かれる日本人に、今、この太陽の塔が突きつけていること。