香川県天霧山の香川氏とは関係ない香川県〔4718〕2016/03/16
2016年3月16日(水)晴れ
良いお天気。春の空。
昨日、愛媛県の松山市で会合があり、車で松山に行っちょりました。遅くまで大街道界隈で飲んで、松山泊。今朝は車で香川県の坂出市にある弊社西日本事業部へ移動し、朝の9時から打合せ。で、お昼には会社へモンて来ました。四国を行ったり来たり。
写真は、高速道路から見た天霧山。高松自動車道を高知へ戻ってきておりまして、善通寺インターを過ぎると、右手に見えてくる山。こちら側に砕石場があり、かなり印象的な山容。天霧山。標高382m。
戦国期、香川氏の居城がつくられた山、天霧山。
香川氏は、相模国香川荘の香川氏が守護代となって讃岐にやってきて、そして土着した氏族。讃岐香川氏。
で、戦国期には香川之景さんという武将が主となって、天霧山の城を本拠に、活動をしておりました。そこに、阿波の三好氏が攻め込んできます。そして籠城戦。
三好軍は、あの山を取り囲んで兵糧攻めにした訳だ。
籠城戦で、一番苦労するのは「水」。山では水が不足し、水への渇望が、一番苦しいのであります。そこで、日本各地に「白米伝説」が残るのはご承知の通り。
馬に白米をかけ流す。遠くから見ると、白米が水に見える。馬を洗うほど、水がふんだんに有る、と思わせ、まだまだ籠城側には余裕がある、と攻城側に見せかける伝説。日本各所の山城の籠城戦に見られる伝説で、土佐でも、長宗我部軍に取り囲まれて籠城した鴻ノ森氏の白米伝説が有名。
天霧城の籠城も、結局は三好軍の勝利に終わる。
その後、香川氏は勢力を盛りかえし、再び天霧城を取り返して盤踞するも、今度は長宗我部元親くんがやってきた。これはもう、どうしようもない、ということで降伏した香川氏。
元親くんは、自分の次男親和くんを、香川家の養子に入れ、香川家に代々伝わる「五郎次郎」を襲名させたのでありました。香川五郎次郎親和の誕生。そして、天霧城に住まわせ、讃岐方面の守りとした訳だ。
しかし、秀吉の四国攻めで、長宗我部氏は天霧城を放棄し、土佐へと戻って行った。
あの山は、そんなこんなの、土佐との関わりを持つ山である、ということは、この高速道路を通る高知県人は知っちょってもかまん話やと思います。
さて。香川氏。
相模国の香川荘からやってきた香川氏。現在ここは香川県。香川氏と香川県は関係あるのか。
そこで調べてみました。香川県の由来。
ネットの地名由来辞典によりますれば、高松市がある界隈が奈良時代の昔から香河郡という郡であったことに由来する、とあります。そのまた由来は「かが郡」。
夏の雨量が少なく、川が枯れる枯川が転じて「かがわ」になった説。
樺の古木が河川に落ち、郡中にその香りが満ちたので「香川」になった説。
川は温泉のことで、温泉の臭気に満ちた」「香川」と呼ばれた説。
色んな説があるそうだ。
相模国香川荘の香川氏の分かれが、讃岐へ守護代として入国してきたのは室町時代。
なので、高松界隈が香河郡となったのより遥かに新しい。
後世、香川県になる場所に香川氏がやってきて、本拠としたのは、単なる偶然にかありません。すごい偶然。
後世香川県となる地域を支配した香川氏の「香川」は、香川県の「香川」とは関係無い、ということだ。なるほど。勉強になりました。