そば茶屋、岩原のヤスシ、祖谷そば〔4679〕2016/02/06
2016年2月6日(土)薄曇り
今日は、国道32号線を走って香川県へ向かっております。もちろんお仕事。
高知と徳島の県境付近で丁度お昼になったので、県境の徳島県側にある「そば茶屋」でお昼ごはん。久々にやって来ました。
で、今回は「おそば」と、名物の「あゆ寿司」。おそばは、そば粉10割の典型的祖谷そばでした。おいしかったです。
アユの酢締め加減が絶品。おそばも、短く切った10割そば。お箸では食べにくい祖谷そばは、そのまま口へ掻き込んで食べるのが便利。お箸ではボソボソとそばが切れてしまう。そんな祖谷そば。
一人で切り盛りするおばあちゃんと、お話をしました。驚きの事実が二つ。
一つ目。
おばあちゃんは、こっから高知県へ入って最初の駅がある岩原出身で、こちらに嫁いで来たとのこと。そこで、弊社には、岩原出身の下村という総務部長がおりますよ、と話しました。「岩原に下村は多いきね〜」とのことなので、以前に泊まったこともある山の方へ上がっていった下村さんちの場所を説明すると、「あのカーブの所の二階建ての家かね。あそこの子はヤスシよ。」
そう!
その通り。下村ヤスシが弊社総務部長。しかも。「あたしはそこの出身よね。」ビックリ。
県境のそば茶屋のおばちゃんは、岩原の山中、弊社総務部長出身の集落で生まれ育っちょりました。なんという偶然。いや、驚きました。
二つ目。
祖谷そばは、どんなにして始まったのか、という話。
なんと、そんなに古いものではないのだそうだ。「昔、阿波池田の駅のホームで、そばを作って売りよったがよね。それが、祖谷そばということで、割合最近になって祖谷のかずら橋が有名になり、皆が祖谷そば祖谷そばと言うようになったと聞いちゅう。」
なんですと?
このにっこりにも、何度か書いてきた、小生が子どもの頃にあった阿波池田駅ホームの祖谷そば。あれが元祖であったとは。
昭和10年に土讃線が開通してから、駅のホームで作って売り始めたものにかありません。で、戦争で中断するも、戦後再開、阿波池田駅名物になりました。小生も何度食べたことか。汽車が停まっちゅう間に買わんといかんので、結構慌てたおそば。汽車の車内にも持ち込めました。独特の、ブツブツ切れる10割そば。
しょっちゅう、長期に泊まりに行きよった、阿波池田の先の昼間という集落のお母さん、つまり小生の叔母は、自分で打ったそばを食べさせてくれました。10割そば。なので、あんなそばを食べる風習はあったのでしょうか。
祖谷そば、と呼ぶようになったのは、比較的新しいことで、阿波池田駅ホームが最初、という説を初めて聞きました。なるほど。
で、そばの栽培もこの辺でやりゆうのか、おばあちゃんに尋ねてみました。作りゆうことは作りゆうけんど、少ないとのこと。徳島県は、そば栽培を奨励しよりますが、なかなか増えんにかありません。
で、このおそばのそば粉は北海道産も混じっちゅう、と言うておりました。
「北海道のそば粉を使うて祖谷そばとは言えん」とおっしゃるおばあちゃん。言われてみて、このお店の看板やらお品書きを見てみると、まこと、どこにも「祖谷そば」とは書いちゃあせん。おばあちゃんの矜持だ。素晴らしい。
ともかくも。
この県境のそば茶屋で、驚きの事実を二つ知ることになりました。
おそばも美味しかったし、あゆ寿司も絶品。良いお昼ご飯でした。
今度から、この道を通るときは、必ずここでお昼にしよう、と誓ったことでした。