鉢伏山、ゴメンジャー、ながおか温泉〔4680〕2016/02/07
2016年2月7日(日)良いお天気
久々に、山の方には雪が降ったにかありません。遠く北に見える四国山地主脈は、白いものを冠っています。
龍馬マラソンまであと一週間。なので、あちこち、最終調整を兼ねたランを楽しむ老若男女。良いこと良いこと。
真面目に走っておられますね。なので、のったりまったりランの小生は、そんな人々にマギらんよう、できるだけ出会わないコースを走ってきました。久々。鉢伏山〜南国コース。
家を出まして東進。五台山の北麓を通り、介良の田んぼを抜けて鉢伏山。稲生に近い岩屋から、一気に駆け上がる。
頂上近くまで、フウフウぜえぜえ言いもって急坂を駆け上がると、石段が現れ、そして岩屋観音堂。チャートの巨岩の観音堂。古くから、信仰を集めてきた観音堂にお参りしちょいて、山頂へ。
鉢伏山の山頂には、巨岩に小屋掛けした大山祇神社さん。
以前はなかった「鉢伏山頂上 標高212メートル」と書かれた杭が打ち込まれちょりました。おう。素晴らしい。この山の大切さを伝えていこうという試みが始まっちゅうのか。
鉢伏山は、岩屋観音堂の上のピークと、他にもウネウネとピークがあります。そして、その界隈には、たくさんの戦争遺跡。以前も何度かご紹介しました。
鉢伏山、介良富士の西斜面に、戦争末期、陸軍第十一師団の本部が移ってきて、山全体を要塞化、米軍の上陸に備える、という作戦が実行されました。なので、山頂界隈には、たくさんの通信壕と思われる溝や、貯蔵庫のような穴などが、今も見られます。蜂伏山へ登るたびに、散策して、痕跡を探検してしまう。
で、以前無かった説明板がひとつ、その戦争遺跡の穴の横に建てられちょりました。転載しましょう。
介良 史跡・自然めぐりコース
「たこつぼ」
陸上戦闘時の身を守るため地面に掘った個人用の塹壕。たこつぼとも呼ばれる。戦争で歩兵が砲弾や銃撃から身を守るために使う穴である。
介良まちづくりの会
高知市立介良中学校生徒会
こんな風に書かれた説明板。やるではないか、生徒会。
せっかくなら、他の通信壕とかの説明もして欲しかったし、何より、この鉢伏山で日本軍は何をしようとしていたのか、といった説明もあったら良いのに。と、思いましたが、まあ、大きな進歩です。これからに期待しよう。
その鉢伏山から潮見台ニュータウンへ下る途中、この写真を撮影しました。
整然と並ぶ団地の家々。向こうに高知空港。そして太平洋。
米軍が、どのような上陸作戦を考えそうなのか。当時の軍首脳も、色々と考えたでしょう。もし、四国へ上陸するなら。
高知市への上陸は、狭い浦戸湾口で挟撃されるし、南嶺に阻まれて適当でない。
やはり、海岸線の長い南国市の海岸だ。まず、海軍高知航空隊の飛行場を奪い、そこを拠点とするのが一番望ましい。なので、海に夥しい艦艇を浮かべて艦砲射撃をして、それから上陸用舟艇でどんどんと兵隊を送り込む。飛行場を接収する。そして、山全体が要塞化されたこの鉢伏山に、海から、山容が変わるくらいの艦砲射撃を浴びせかけ、飛行機で爆撃し、そして歩兵によって攻撃させて第十一師団を壊滅させ、高知市内を占領する。
そんな作戦が、ここからの風景から読み取れる気がします。
平和の大切さ。
平和な団地ができ、その向こうには、高知東部自動車道が一部開通しました。その自動車道が通った場所には、向山戦争遺跡という、戦争末期に掘られた、山の北と南をつなぐ小さなトンネル壕がありました。尾根のところには、高射砲の陣地もありました。
今はすべて削り取られ、自動車道に。
今日は、自動車道横脇の歩道を駆け下り、ながおか温泉へ。
どの道を通って行こうか迷うた上、後免町商店街を横切るルートを初めて通ってみました。すると、商店街でイベントをやりゆうではないか。定期的に開催されゆう軽トラ市だ。
しかも、丁度、あの、ごめん戦隊ゴメンジャーのショーが始まったばかりではないか。何が私を引き寄せたのか。不思議な力を感じてしまった。
米粉カレーパンを食べながらゴメンジャーショーを観て、ながおか温泉でくつろぎ、電車に乗って帰ってきました。
良い、冬の1日。