古岩屋〔4649〕2016/01/07
2016年1月7日(木)曇っちょります
今日は、愛媛県の松山市で、愛媛流通懇話会という会の賀詞交換会がありました。朝の10:30から、松山全日空ホテルさんで。
近年、流通業界の年始回りを簡略化するなどの目的で、こんな賀詞交換会が開催されるようになりました。同じようなのが、高知でもあります。
高知県の流通業界の賀詞交換会は、今年は1月4日11:30から、ホテル日航高知旭ロイヤルさんで開催され、小生も出席しちょりました。これを開催すると、年始回りの手間が省け、業者も量販店側も、楽チンになる、という趣旨。なかなか良いことだとは、思います。
そんな訳で、今朝、会社で一仕事しちょいてから車で松山。今朝は国道33号線を通って行きました。賀詞交換会が終わり、色々と仕事、用事を済ませて、再び高知へ。帰りは、同じ道を引き返して、久万の町で左折。そう。最近お気に入りの、久万〜岩屋〜東川〜池川と通る旧松山街道コース。
明治期に、仁淀川沿いに現在の国道33号線ルートが整備されるまで、池川(現仁淀川町)から岩屋を通って久万へ抜ける道が、土佐と伊予を結ぶメインルートであった、という話はビッシリ書いてきました。
写真は、そのルートの途中。古岩屋。
この先に、四国八十八ヶ所霊場の45番札所、岩屋寺さんが鎮座まします。山中の名刹。
久万の町から東へ入り、南の山へ登ると44番札所、大宝寺。その奥の院として古くから霊地とされ、修験道などの聖地とされてきた、岩屋寺。
岩屋という地名。この、奇岩でできた岩峰に、侵食によってたくさんの洞窟が穿たれ、そこで修験道の法師が修行したことによるものと想像されます。
高知でも、安芸から安田へ抜ける大山岬の、侵食された巨岩が岩屋と呼ばれるのは、そこで修験者が修行したきですきんね。
この奇岩は、三波川変成帯。秩父累帯の北側。
説明板には、この岩峰は、塩基性緑色片岩、泥質性黒色片岩、珪質片岩などを由来とする礫岩で、4000万年前くらいに堆積したもの、と書かれちょりました。ここに、北東方面から大河が流れており、その扇状地として堆積したものだと。それが、長い年月の間に侵食されてこのような風景になったと、書いちゃあります。
地学は日進月歩なので、ホントのところは、どうなのか、小生にはわからない。特に今は、ネットに繋がらない環境なので、調べようもない。
何故、そんなネットが繋がらない環境なのか。
実は、岩屋から東川と国道494号線を進んできて、純信さんの墓所を過ぎ、土予国境のトンネルを抜けてクネクネ道を池川の方へ進んでいますと。ああ。工事だ。
また、50分止め10分通行、という工事による通行規制に引っかかってしまった。しかも、通行止めになってから5分後に。つまり、携帯の電波も通じない山中で、45分、待たなければならなくなった訳だ。こんなこと、こないだもあったような気がする行き当たりばったりの人生だ。
それはともかく、時間がもったいないので、今、このにっこりひまわりを書きゆう、という訳なのであります。なので、ネット環境など、望むべくもない。なので地層の真実も、わからない。
そんな訳で、地層や地学に想いを馳せながら、何も無い山中で、指の動くままに書き連ねるにこりひまわり。
それはそれで、まあ、楽しいと思います。時間を有効に使う方法は、なんぼでもありますきに。
さあ。通行できるまで、あと、10分だ。
そんな訳で、通行止めが解除になり、帰ってきました。高知。会社。地層を確認するのはまた今度ぜよ。