大学とは〔4589〕2015/11/08
2015年11月8日(日)雨のち曇り
今日は日曜日。ですが、1日、色々と用務をやっておりました。
今日のメインの用務は、「高知大学人文社会科学部キックオフ・シンポジウム」。あの向こうの高知新聞さんのビル。RKCホールでやりました。高知大学は、今、様々な大学改革をやっております。今年4月には、全国の国立大学に先駆けて、地域に密着し、地域のあり方を考え行動する「地域協働学部」なるものができました。
今、地方の大学は大変。少子高齢化のなか、大学のあるべき姿、方向を模索しております。もちろん国の予算も縮減方向で、キチンと考えていかないと、大学そのものの存立の危機を迎えてしまう。
そんな中、我が、高知大学は、頑張っております。
こないだの高知新聞に、文部科学省が行う国立大学法人に対する評価で、高知大学が最高評価を頂いた、という記事が載っちょりましたよね。小生も少々関わっちょりますが、高知大学がやっている種々の取り組みは、今の所、国の想定を超えるところを行っていると感じております。文科省の役人には考えつかないような、これからの地方大学のあるべき姿を考えている、と言えるかも知れない。
とは言え、まだ緒に就いたばかり。
このにっこりにはビッシリ書きよりますが、日本という国が成り立つ為には、地方が成り立たなくてはならない。地方が元気に成り立つ為には、中山間が、元気に成り立たないといけない。これはもう、自明と言える、と、考えております。
もちろん企業誘致やインフラ整備も大切でしょう。しかし。
それを推進してきて、今の地方の姿だ。企業誘致やインフラ整備が足りなかったからなのか。そうでは無いですよね。そんなことは関係なく、社会のあり方の問題だ。
そんな意味で、高知大学の次なる取り組みにも期待がかかる。
人文学部を改組して、人文社会科学部にするのであります。来春から。そのキックオフシンポジウムが、今日、ありました。小生も、パネルに参加させて頂き、人文社会科学部に対する期待を喋らせて頂きました。
社会を考えるとき、そのインテリジェンスの大切さがよくわかる。それは、人文系の広範な知識や知恵が欠かせない。そんなことのわからないインテリジェンスに欠けた輩が、人文系不要論を唱えたりするのは、ちょっと、悔しい。あと、社会学。社会科学。ああ。
さっき、「社会のあり方」と書きました。そう。これからの、地方、中山間が栄えていく社会のあり方。これはもう、今までにはなかった、新しい社会科学として、誰かが考えなければならない。それを考える場所は、地方でなくては、絶対に無理だ。高知から、高知大学から、新しいこれからの日本社会のあるべき姿を考えていこう、という思いを、勝手に、自分の中で盛り上げているところでございます。ちょっと、興奮してしまいました。
しかし、良かった良かった。
今日のシンポジウムでは、人文学、社会科学という学問が、「人間力」をつけていく上でいかに重要か、という議論になりました。これからの大学教育に「文学」とかは必要なく、技術や簿記などの実務を教えるべきだ、などという経営者が居たとすれば、そんな輩、経営者の資格はない、という話も出て盛り上がりましたね〜。
大学とは。地方国立大学とは。いろんなことを考えさせてくれる、有意義なシンポジウムとなりました。
ここに、高知だけではなくて、日本という国の未来がある、と思ったことでした。