七星剣〔4569〕2015/10/19
2015年10月19日(月)快晴!
良いお天気。快晴。夜明け前の空には満天の星。
今朝は、いつもの野市、上岡八幡宮さん境内から北の空を撮影してみました。4時過ぎ。で、撮影した写真を、星の部分だけがハッキリわかるように処理してみたのがこれ。う〜ん、ハッキリわかるのか?これは。
ともあれ、よくご覧ください。真ん中に北斗七星。なので、そっから左へいくと北極星。
両方とも、太古の昔から信仰の対象となってきた星々。動かない北極星。巨大な柄杓の北斗七星。北の空に輝く存在感。
こないだ、奈良へ行ったのはご承知の通り。で、その会合のパネルディスカッションのパネラーに、元興寺さんの住職がいらっしゃいました。小生の高校の同級生が、元興寺文化財研究所に勤務しよりますので、ご住職にその話をして、盛り上がったことでした。
その後、早速、その同級生にFBで連絡を取ってみたところ、お返事が。その中に、小生が以前に書いた、中村、一宮神社さんの七星剣のことがありました。なんでも、最近、研究所に七星剣のことで問い合わせがあり、「高知 七星剣」で検索したら同級生である小生の、このにっこりひまわりが引っかかってきた、ということにかありません。なるほど。縁だ。
以前のにっこりにも書いたのでありますが、1988年に、中村、一宮神社に由来不明の七星剣が所蔵されちゅうことが判明。で、橿原考古学研究所が調査し、「古墳時代後期から飛鳥、奈良時代」の刀剣と発表。これはすごい。そんな古い刀剣が、中村に。何故?
しかし、1992年に東京国立文化財研究所が、象嵌部分(これが北斗七星だ)の材質の分析で、14世紀以降のものであろう、と推定。これに橿原研が反論、となって、現在に至るも、結論がでちょらん、という話。
こういった刀剣の分析調査、元興寺文化財研究所さんが得意とするところなんですね。四万十市教育委員会も、予算の都合などでその後の調査依頼ができちょらんようだ。なんとか進めてもらいたいところ。
もし。
もし、奈良時代以前とかのものであれば、重文は間違いないでしょう。
ちなみに全国に、古代の七星剣と言われるものは数本しかない、と言われちょります。
一番有名なのが、大阪、四天王寺の七星剣。なんせ、聖徳太子の佩刀とされる刀ですきんね。国宝。
七星剣で国宝なのは、この四天王寺のものだけ。法隆寺や正倉院にも七星剣があり、その由来などに夢が掻き立てられちょります。
ここで「国宝」の刀剣をウィキで見てみました。
名工による名刀で、国宝に指定されちゅう刀剣は多々あります。しかし、上古〜平安時代中期、という古い時代の刀剣は、ほとんどありません。その時代の刀剣であることが確定し、国宝になっちゅうのは、なんと全国で5振りのみ。
その中の一振りが、上に書いた四天王寺の七星剣。四天王寺には、聖徳太子の佩刀と伝えられる刀がもう一振りあって、丙子椒林剣と呼ばれ、これも国宝。
それから、鹿島神宮の直刀・黒漆平文大刀拵と、大阪、金剛寺の無銘の剣。
そしてもう一振り。それが、高知県、小村神社さんの金銅荘環頭大刀拵・大刀身なんでありますね。これは、その造作も見事で保存状態も良い。そんな国宝が高知に。何故、高知に?
そしてもし、中村、一宮神社さんの七星剣が、奈良時代以前のものであったならば。太古の昔の土佐、結構、捨てたものではなかったのかも知れない。中央との結びつきは意外に深く、中央との関係が深い有力な勢力が跋扈していたのかも知れません。
と、まあ、こないだからの話の中で、妄想が暴走します。良い、朝です。