高新ホールの赤い座席〔4568〕2015/10/18
2015年10月18日(日)快晴
今日は高知。昨日の朝の飛行機でモンて来ました。良いお天気の日曜日。
外は抜群のお天気なのに、今日は会合があって、こんな場所にいます。RKCホール。なんと言う懐かしい空気が流れるホールであることか。今はRKCホールですが、昔は高新ホールでした。高知の芸術文化のメッカ、高新ホール。
高知新聞社のビルにある、ホール。高知新聞放送会館という名称が正式なビル名にかありません。このビルが完成したのは1966年。昭和41年。高新ホールは、その際にビルの6階につくられ、高知の芸術文化の中心となりました。そうか、昭和41年か。そんなに前やったですかね。
高新ホールが完成するまでは、高知でコンサート、と言うと、お城の下、現在の丸の内緑地がある場所にあった中央公民館でした。
追手前小学校の低学年の頃、市内小学校の合同音楽会かなにかが中央公民館であって、学校から楽器を持って、演奏に行ったような記憶があります。あと、手品ショーを見た記憶も。大きな紙を丸めて漏斗状にし、それに牛乳を入れます。それをパッと開いたら、牛乳が白い紙吹雪になっちょった、という手品を見たのを、今も思い出す。
昭和41年に高新ホールができちょったと言うことは、もう、その合同音楽会の頃には完成しちょった筈ですが、まだ中央公民館も使いよった訳だ。
あと、県庁前の農協会館もありました。あそこでピアノのコンクールとか、やりよったのを観に行った記憶があります。
小生が中学生になり、吹奏楽部に入って、コンサートをするようになりました。当然、会場は高新ホール。しかし、中三の時に県民文化ホールができて、それ以降はそちらに移りました。なので、高新ホールが高知の芸術文化の中心であった期間というのは、10年間もなかったことになります。
吹奏楽部員として、当時の高新ホールを実際に利用した小生にとって、とても懐かしい雰囲気が溢れます。
この赤い客席。
下側のオレンジ色の席は、当時はありませんでした。この部分も、全部、上にある赤い座席と同じのがステージ下まで並んじょりました。
今は、その、ステージ下の部分の椅子はいつでも撤去できるようになっちょって、広いフロアとしても使えるようにしちょります。
そして、懐かしい楽屋。今となっては狭い楽屋ですが、当時のことを思い出させてくれます。
エレベーターも階段も、リニューアルはされちょりますが、当時の雰囲気を伝えてくれrます。
色々と懐かしい高新ホール。いや、今は「高新RKCホール」が正しい。
このビルの東側に隣接してビルが建てられ、こちらのビルと一体になったのはいつの頃か。その東館の方にも少し小さいホールができました。高新文化ホール。そこでは、今日は、ダンスの大会のようなのが行われゆうにかありません。社交ダンス。
そう言えば思い出しました。以前、バンドをやりゆう頃、その高新文化ホールで社交ダンスのバンドマンをやったことがあるぞ。
県民文化ホールができ、高知市文化プラザかるぽーとができた今でも、やはり高知の文化発信拠点として役割を果たしておるんですね。高新RKCホール、高新文化ホール。
今、この赤い椅子に座ってにっこりを書いております。懐かし過ぎる、赤い席。