平城京〔4567〕2015/10/17
2015年10月17日(土)晴れ!
そんな訳で、今朝は奈良。奈良県の奈良市。昨日、会合があったのでやって来ました。夜は、日付が変わる頃まで飲んでおりました。地味な、奈良の夜。
元興寺の住職さんとかのお話を聞きましたが、さすがに奈良は面白い。日本文化の原点みたいな部分もたくさんあって、本当に面白い、奈良。
しかし、今日は午前中に高知へイヌらんといかんので、朝もそんなにゆっくりたつくれません。今、JRの大和路快速の車内で、このにっこりを書いております。
今朝たつくりに行ったのは、奈良公園でも東大寺でもなくて、ここ。平城京、朱雀門界隈。今から1305年前、ここに、唐の都を模した、条里制の平城京がつくられたのでありますね。実際、来てみますと、実感として「広い」。いや〜、当時の感覚としても、こじゃんと広かったと思います。
走る途中、長屋王の邸跡、というのがありました。長屋王の邸は、平城宮の、朱雀門を出たしゅっとのところ、一等地にある、という認識。確かに平面図を見るとそうなのであるが、実際に歩いてみると、結構あります。つまり、お屋敷も広大で、一つ一つの区画がとにかく広い。
8世紀の初めと言いますと、日本が必死になって唐の制度を導入しようとしていた時期。大化の改新の後、百済に出兵して白村江などで大敗北を喫する。そこで、慌てて防御を固めながら、強い唐の制度を導入しようとした、そんな時期。
長安のような条里制の広い都を建設しようと考えた場合。どこを選ぶか。Googleマップで見たら一目瞭然なのですが、奈良の盆地は、広い上に防御に優れている。東西交通の要衝でもある。ここを選んだ為政者の感覚は、正しい。
日本の面白いところは、まずはそっくりそのまま導入しよう、とするところ。当時の国情や国力を考えたら、そんな広大な条理を築く理由はどこにもない。しかし、つくってしまいました。
奈良。平城京。
8世紀の終わりに、平安遷都が行われてから、長い長い間、目立たず、静かに、ひっそりと時をす護衛てきた、奈良。来てみてわかりますが、かなりの田舎でもあります。京や大坂にこんなに近いのに、忘れ去られてしまったかのような静かな歴史を刻んできた、奈良。この有り様は、実に興味深いですよね。
平城京当時の人口は、10万人弱とされます。当時としては巨大都市。周辺人口を入れれば、やはり日本の中心にふさわしい都市であった平城京。
それから1300年。
奈良市の人口は36万7千人。高知市より少し多いくらい。奈良県の人口は140万人。おう。面積の割に多いではないか。
と、思いますよね。全国29位。高知は下から3番目の45位で、76万人くらいになってしまった。
ところが。太平洋戦争が終わった昭和20年。高知県の人口は77万人で、なんと、今より多いんであります。で、奈良県は78万人で、高知県とほとんど同じ。
更に1920年、大正9年になると、高知県は68万人ですが、奈良県はなんと56万人。そんなに少なかったんだ。
つまり、現在の奈良の人口は、戦後、大阪のベッドタウンと化すことによって増えてきたもの。奈良県として、県の力が上がってきた、ということではないようだ。
しかし、良いところです、奈良。
都市文明の発展の陰に隠れて、悠久の時間を静かに過ごしてきた奈良は、変に都会化されていない、自然と歴史がうまく融合した場所。以前に山の辺の道をたつくったときにも感じましたが、奈良には、独特の不思議な空気が流れております。
今、奈良はリニア新幹線の駅を誘致しようとしたりしておるようです。が、奈良は、これからも奈良であり続けた方が良い、と思うのは部外者だからでしょうか。
少し交通は不便でも、奈良らしさを極めていくことが、奈良にとっての地方創生のような気がして気がして。
古代の匂い。修験道の山々。控えめで楽しい人たち。
奈良でタクシーに乗った知人が、「奈良で美味しいものはなんですか?」と尋ねたら、しばらく考えて、「あんまり無いな〜」と答えたとか、「夜、どの辺りに飲みに行ったら良いですか?」と尋ねたら「飲みに行くんやったら大阪でんな」と答えたとか、そんな控えめな、奈良。
小生、結構、好きです。