90年の歴史の重み〔4539〕2015/09/19
2015年9月19日(土)良いお天気
やっと、良いお天気が続くようになりました。明日は「高知街ラ・ラ・ラ音楽祭」。今年でもう、14回目を迎えるのか。早いもんだ。良いお天気で何より。
ここは、高知市升形の織田歯科医院さん。現在の院長は5代目さん。小生の従兄弟の息子さんになるんでありますね。
初代は、自由民権運動でも有名な織田信福(のぶよし)さん。明治18年、歯科医師開業試験に合格したときの登録番号は7番。つまり日本で7番目。で、同年、歯科医術開業免状をもらいました。登録番号は第9号。つまり、日本で9人目の歯科医師、ということになった訳だ。で、翌明治19年に高知市で開業。当然、高知県歯科医師会の初代会長さん。
そして。
高知市升形に、素晴らしい設計の洋館、織田歯科医院ビルができたのが大正14年12月。このにっこりひまわりでも、大正末年から昭和にかけての、高知の建築の素晴らしさは幾度も書いてきましたが、織田歯科医院ビルも例外ではない。
そして、初代の織田信福さんは、新しいビルが完成するのを待っていたかのように、翌月、大正15年1月に永眠されました。
爾来、その、織田歯科医院の洋館は、歯科医院の診療所として90年間、利用され続けてきました。90年ですきんね、90年。
その間、太平洋戦争もありました。昭和20年7月4日には高知大空襲も。高知大空襲では、高知の市街地は一面の焼け野が原に。その焼け野が原に、決然と屹立し、焼夷弾の雨にも負けずに残ったのが、織田歯科医院洋館。焼け野が原の写真でも、屹立する織田歯科医院ビルを確認できます。今も、焼夷弾の跡が残る洋館。
焼夷弾の雨の中、必死で、焼けるのを防いだ織田家の人々の話は、よく親に聞かされたものです。
戦争を生き残った奇跡の建物は、戦後70年間、独特の雰囲気を保ちながら診療所でありつづけてきました。
現在の院長は5代目。洋館の隣に新しい診療所が完成し、洋館は診療所としての役割は終えますが、貴重な歴史遺産として、これからも残されていくことになっちょります。
小生、子供の頃、しょっちゅう虫歯の治療に来ました。現在は、実家から近い、現在の院長の叔父さんが経営されておられる歯医者さんに通うておりますので、しばらくこの洋館に上がったことはありませんでした。
昨日、90年間の診療を終えた、ということでしたので、今日、行ってみて撮影したのがこの写真。ああ。懐かしい。そのまんまだ。
引っ越しで慌ただしい診療所。写真は、洋館2階の待合室。ああ。そのまんまだ。今から半世紀近く前、診察を待った部屋。
あの頃、冬になると真ん中に大きな火鉢。あの火鉢の匂いが鮮明に蘇る。
部屋の戸や柱の、重厚にしてお洒落なありようも、そのまま。調度類は、入れ替わっているかも知れないが、あの頃の雰囲気を留めます。
90年の役目を終え、この部屋は、待合室ではなくなりました。
織田家の皆さんのご英断で残される、この洋館。貴重な戦争の痕跡を伝える、そして90年間、歯科医院でありつづけた洋館。
この空間に包まれると、まさに、タイムスリップだ。