レッドカーペットと爆撃の痕跡〔4538〕2015/09/18
2015年9月18日(金)晴れ
ホントに良いお天気。そして、青い空に赤い彼岸花。毎年、まことに不思議に思いますよね。お彼岸に合わせて、突然、しかし間違いなく咲き始める彼岸花。今迄いったいこったいどこに隠れちょったのか。影も形もなかったものが、突然、一斉に咲き始める。しかも毎年、同じ時期に。大自然というのは、実に微妙なバランスの上に、しかし強固に、できあがっちゅうものだと感心させられる。
ここはいつもの野市、上岡。上岡八幡宮さんの参道入り口の鳥居のところから南東方面を撮影してみました。今は田んぼの中の草原ですが、かつては参道の延長戦であった、この小径。この小径が、毎年レッドカーペットになることは、以前にもご紹介しました。
毎年咲く、ということは、球根が土の中に残っちゅうということ。もちろん毒があって、そのまま食べられません。が、以前にも書いたように、土佐では昔から飢饉の非常食として重宝されてきた、という歴史があります。
球根を擂り潰し、練って、灰汁に何度も幾度も丁寧に晒して毒を抜く。で、団子にして、食べた。土佐だけでなくて、全国で食べておった、という話。
今も、田んぼのあぜ道に彼岸花が多いのは何故か。
確かに、この参道も、今はあぜ道だ。彼岸花の毒を嫌い、ネズミやらモグラやらが寄ってこん、というのが、そもそもの理由にかありません。彼岸花の球根をネズムが食べたら、アッという間に死んでしまう。それを知っちゅうので、その球根の近くには寄って来ん、ということだ。そして、飢饉の際には非常食にもなる。お彼岸を知らせてくれる美しい風景にもなる。てな訳で、日本人にとっては大切な大切な彼岸花。
上岡八幡宮さんは、野市の洪積台地の先っぽに位置します。参道がある境内の標高は、地理院地図で見てみますれば13.7m。で。この、彼岸花が咲くレッドカーペット、かつての参道の標高は9.3m。洪積台地の上と下で、4m以上の段差がある。この段差はこじゃんと重要で、何度も何度も土佐を襲うてきた南海トラフ大地震の津波は、この参道の場所まで、幾度も遡上してきたものと思われます。しかし、八幡様のある台地の上、上岡の集落がある台地の上は、ほとんどの場合、無事だったのではないか。そんなことが想像できる、洪積台地と沖積平野の地形。
さて。
その彼岸花の向こう、参道の両脇に石柱が見えます。米軍爆撃の痕跡。
あれは、かつて、鳥居でした。恐らく嘉永三年(1850年)に御寄進された、鳥居。あそこが一の鳥居であったのでしょうか。
御寄進された4年後には、安政南海地震に見舞われますが、無事でした。安政南海地震津波は、ここまでは遡上しない、規模の比較的小さいものでした。しかし、昭和20年。1945年。太平洋戦争末期、米軍の攻撃が激しさを増す中、グラマンの爆撃で破壊され、あのような姿になってしまった鳥居。
物部川の対岸に、海軍の基地と飛行場があった為、米軍の攻撃目標となってしまった、上岡。上岡八幡宮さんの山にも壕が掘られたりした為、かなりの攻撃を受けて、今も各所にその痕跡が残る八幡様境内。
あの、鳥居の脚の足元には、破壊された残骸が、今も転がったまんま。あの記憶を忘れないために、わざとそうしちゅうそうです。平和への願いを込めて。
広がる青い空。赤い花。
お彼岸。
彼岸花。
爆撃の痕跡。