空海の悟りと夏至と金星〔4450〕2015/06/22
2015年6月22日(月)薄曇り
夏至。今日は夏至。一年で一番お昼が長い日。今日の高知市界隈の日の出は4:56分となっちょりました。今の季節、5時にはもう、お日様が昇っちゅうのでありますね。
写真は、4:53頃の新物部川橋。ここは高知市よりも東に位置するので、まさしく、夏至の太陽が昇ろうとしゆう時間帯。もちろんお日様は山の向こうなので見えはしません。が、東北東の空が赤く染まって美しい夜明け。神々しい風景。
お日様にたいしての信仰は、世界中にあります。夏至を祝うお祭りも、世界中にあります。日本では、特に、太古の昔よりお日様に対しては特別の感情を抱いてきちょります。これはもう、アニミズムの系譜と言うたちかまんでしょうが、大自然への畏れや敬いが、太陽信仰へとつながってきちゅうのは間違いない。
日本人にとって、大自然の中で一番強力で印象が強いのが、お日様やきでしょうか。お日様は、人間に、食べ物などの恵みをもたらしてくれ、暖かく快適な生活を保証してくれる。なくてはならない、お日様。
ところが。
こないだ読んだ本では、世界標準としてはそうでもないらしい。例えば中東とか、砂漠の国では、お日様は危険にして避けたい存在であったりする。砂漠の真ん中で、お日様に照らされ続けることは、死を意味する、ということにかありません。砂漠を移動するキャラバンは、夜、月明かりに照らされながら移動した。
月の砂漠をはるばると 旅のラクダはゆきました
という訳だ。
で、そんな砂漠の国から生まれたイスラム教は、三日月を発展のシンボルとして崇めたのであります。そう。お月様は砂漠を照らし、導いてくれる。三日月は、これからの成長発展を意味する、という訳でしょうか。
そんな訳で、イスラム教を国教とするような国々の国旗には、三日月があしらわれちゅうケースが多い。トルコ、パキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどなど。
シンガポールやマレーシアの国旗の三日月も、イスラム教由来やそうです。
日本では、太陽は恵み。太陽は生命の源泉。
太陽神への信仰は絶大。
で、仏教が日本へ入ってきても、お日様優位の考え方が変わることはなかった。ので、神仏習合し、本地垂迹説が唱えられるようになったら、天照大神の本地仏は大日如来となり、密教などで一番重要な仏様になった訳ですな。
密教と言えば弘法大師、空海さん。
空海は、若いころ(20歳の頃)、各地を廻って修行をしました。室戸の御厨人窟(みくろど)で虚空蔵求聞持法を習得すべく荒行を敢行し、ある朝、明けの明星が口から身体に入ってくるのを体感して悟りを開いた、とされます。
あの御厨人窟、空海が修行した時代は、今よりもずっと海岸線に近かった、てな話は、以前の地学ネタで書いたとおり。で、あの洞窟からは、今の、夏至の時分、朝日が洞窟の奥まで差し込む方角になる、と言います。確認した訳ぢゃあありませんが。
では、空海の悟りは、どんな状況で成されたのか。こっからは妄想ですきんね。
明けの明星が輝く時間は、まだ、空と海がひとつになって見えない。そんなこともあって、この季節に朝日が洞窟に差し込んでくるのを悟り体験に重ねちゅうのではないか、という説もある。
そこで、調べてみました。
空海が修行した頃、金星はどうであったのか。
空海が各地を歩き、山野で修行をしたのは、19歳、792年頃から、と言われちょります。797年には東大寺で具足戒を受けちょりますので、その間。
そこで夏至の頃の東の空を調べてみますれば。今は天体のフリーソフトがあるので、便利便利。どんな年月日、時刻でも、その場所で見えた空を確認できます。
この期間で、夏至の時分に金星が見えたのは794年だけ。他の年は、地平線の下であったり太陽に近すぎたりして、見えない。なるほど〜。
もし、空海の悟り体験が、夏至の日の出と明けの明星がセットになって御厨人窟から見えたことによるものであったとしたならば。西暦794年6月22日前後であったのかも知れない。
ただの明けの明星だけでは、悟りの理由としては少し弱いかも知れない。そこに、その季節だけ洞窟に差し込む朝日が加わって、強烈な体験となり、悟りを開いた。そんな妄想が駆け巡る、夏至の朝。